人間が生きていく上で最も直面する感情とはなんだろうか。
喜び、悲しみ、怒り、様々あるがその中でも寂しさが占める割合は大きいだろう。

我々人間はほぼこの寂しさで仕上がっているのかもしれない。
寂しいからこそ、その感情が言葉や行動につながりたくさんのものを形成していく。
人は1人では生きられないのは言うまでもないことだが、寂しさというのはそこからきているのだはないだろうか。

寂しさの事例を挙げてみよう。
学校や職場では友だちや仲間ができる。物事を進めていく上で横の関係つまり連帯という概念は必要だが、強制的な関係が求められない限りは孤独でも何ら問題は生じないかもしれない。
学校に友だちが1人もいないからといって死ぬわけでもなく、同じ毎日は過ごせるし卒業もできる。
企業に仲間がいなくても勤務時間は同じだし給料も貰える。

こうするとたとえ1人であろうとも支障はないのかもしれない。
しかしこれは、目に見えるいわば結果論でありその人の内面的部分には関連しない。

メンタル面ではどうだろうか。学校に友だちが1人もいないとなるとその人は学校を楽しめているだろうか、互いに勉強の意欲を掻き立てる存在もいないのなら学力はたいへん伸びるだろうか、
その人自身の性格や考えで一概には言えないが、やはり寂しさを感じるだろう。
自分だけ1人で周りの人たちが友だちで囲まれているとどう思うだろう。劣等感を感じるではないだろうか。
その劣等感を感じたくない、1人になりたくない、周りから1人だと思われたくない、そんな人間の寂しさの心理が働き今の社会が形成されてると思う。
大袈裟と感じるかもしれないが、元をたどれば寂しさからきている行動は多い。
人間誰しも弱いし周りから弱いとも思われるのも気に触る。繕おうと必死なのだ。

例えば、SNS
twitterなどで検索してみれば「今日は〇〇とあそんだ」「付き合った〇ヶ月記念」「学校楽しい」などといったツイートで埋め尽くされている。主に画像付きなどで。
twitterの本来の目的は「つぶやきそれを共有しそこから共感を得て会話が広がっていく」というものであるが、そこにもやはり寂しさは感じられる。
なぜそのようなツイートをするのか、フォロワーに見せてなんの得があるのか、ただアピールしてるだけじゃないのか自分は最高に楽しんでいるのを見せつけているんじゃないか、そんな意見を私は思いつく。偏見ではあるし極端でもある、ツイートした本人からすれば「そんなつもりはない!」と言うかもしれないが、その中にあるのはやはり「寂しさ」である。

寂しくならないように誰かと繋がり会話する。寂しくなると自分は弱くなる。1人だと怖い。
1人だとおとなしいのに集団になると急に態度が大きくなる人もいる。1人だと弱いからだ。それは日本人の歴史を振り返ればわかってくるだろう。仲間意識の中で生きてきたからその感覚が現在にも受け継がれている。

時にはモノに頼ることもある。モノを手に入れ自分の質を上げようとする者までいる。

要は仲間意識の中で自分の存在価値を確立しようとしているのだ。寂しくならないように。1人にならないように。

かく言う私もハムスター並みの寂しがりやとよく言われる。ちなみにハムスターは主人に構ってもらえないと寂しくて死んでしまう。
私は1人で行動してみたいがそうなると周りの目が怖かったりもする。1人だと思われたくない、怖い。だから学校でも1人にはできるだけなりたくない。
大多数の人は同じ考えなんじゃないだろうか、お互い同じ考えの中で共存して他人と比べたりして自分の優劣を自分で決定付ける。冷静に考えてみればなんと無益なことなんだろう。

私の偏見が入り混ざったが、人の要は寂しさではないだろうか。
そこからたくさんのものを積み重ね今を成している。
この考え方は定着してるのでどうにもならないが、その中でも1人でも強い人はいる。そんな人は集団よりもメンタルが強く内に秘めている力も大きいと思う。
見習いたいものだ。
この寂しさとどう向き合い、どのように付き合いどのように引き離すのか。
これが特に若年層の課題になってくると思う。




これで一旦結論付いたと思われがちだが、奥にはもっと恐ろしい人間の悪さが垣間見えるときもある。
話がそれるかもしれないが、一応述べておこう。
それは「人を見下す」精神である。
「手紙屋」という小説の中にはこんな文章がある。
「勉強をすることで他人を見下す者がいる。」
実際どうだろうか、勉強はできれば良いものだができたとしてもそれで人を虐げる材料にもなってしまうのだ。
勉強をできない人を見ると優越感に浸り小馬鹿にしたような口調で嫌味を言ったりすることがある。
これは私自身がされたりしてしまったことでもある。本人はその自覚はあまりなく冗談のつもりかもしれないが、少なくともそのような考えは植えつけられているということだ。
人は優位な立場に立つとその場所から相手を見下すことがあるのだ。

先ほどの寂しさとも関係している。
自分が楽しんでいることを相手に伝えて自慢したくなるかもしれない。自慢とまではいかなくても無意識に相手にそれが伝わってるかもしれない。
相手が今を楽しんでいないならなおさらだ。
「お前と俺とを比べると俺は楽しんでいる」
そんな感情が奥底にあり思わぬ形で出ているのではないか。
相手と差をつけてこそ勝ちと思う考えを改めれば思いやり深い社会が形成されるのではないだろうか。
考えれば考えるほど分からなくなることでもある。
まとめれば、寂しさからくる他人へ及ぼす害などをなくせばより共存するのに快適になるではないだろうか。一人一人の意識をより良いものに変えれば寂しさという概念も減っていくのではないだろうかと思う
あなたはどう思いますか?






では。

※あくまでも個人の意見で一概には言えません。