SLE10年目で左卵巣と子宮全摘と脳動脈瘤。 -15ページ目

SLE10年目で左卵巣と子宮全摘と脳動脈瘤。

SLE10年目突入。
なんだかんだずっとしんどいけれど
なんだかんだずっと楽しく生きている気がしています。

2月25日の朝、起きてすぐに両耳の違和感に気づいた。
換気扇の音が大きい。でも洗濯機のいつもうるさい脱水の音が聞こえない。洗濯機止まってる?と見に行った程。
耳がもあもあしている感じ。自分の声が大きく聞こえる。
でも夫の声が聞き取りにくい。
病院に行くのが本当に面倒で、1日様子を見たけれど翌朝も改善されず。
さすがにこのままじゃアカンかと、昼前に近所の耳鼻科受診。

右耳は内出血していた。そういやたまにキンキンと痛むなぁと気づいた。
聴覚検査と鼓膜の張りの検査をしたところ、わたしは低音の聞こえが悪いらしい(´・ω・`)
ただ前のデータが無いので、元々なのか今回の症状のせいなのか分からず。
突発性難聴は基本的に両耳に出る事はないそう。
万が一そうだったら、プレドニン60mgで治療を始めないといけないと言われて、一瞬放心した。
「とりあえずお薬も処方するし膠原病内科にお手紙書きますね」と仰ってくださったけれど、自分で言います〜と言ったら「そんなんでいいの!?んじゃ確認取れてからお薬飲んでね」と笑ってらしたw 
そんなんでいいんです。お手紙は主治医の元に届くまでに時間がかかるのです。

処方されたお薬は
・アデホスコーワ顆粒
・メチコバール錠(ビタミンB12)
・イソバイドシロップ

今日は精神科だったので、早めに病院に行って膠原病内科に行ってお薬の飲み合わせを主治医に確認してもらった。
メチコバール、母とお揃いになってしまったw
イソバイドシロップは、薬剤師さんに「すごく飲みにくいお薬です…」と言われて戦々恐々。
さっき夕飯の後に飲んでみたけれど、飲めた。
確かに変な残り方するけれど、SLEになりたての入院中に毎食後だされていたフロリードゲル経口用(たぶんこれ)に比べたらなんて事ない。あれは本当に苦行だった。

今現在の両耳は、急に音が大きくなったり普通になったりするので、ちょっと気持ち悪い。
でももあもあした感じはだいぶ減った気がする。
とりあえず1週間、処方してもらったお薬を忘れずに飲もう。

精神科は話さないといけない事をすっかり忘れて現状報告で終わってしまった。
吐き気どうしよう。プリンペランとリーゼ欲しかったなぁ。

そして左頬骨が久しぶりにジクジクと痛むので冷えピタ貼った。ブログ読み返してみたら前回は2017年6月だった。
確かいつの間にか痛みは引いたはずだから、あまり気にしないようにしよう。



2月21日。
左卵巣、子宮全摘手術後初めての膠原病内科。
朝から発熱で夫も付き添いで来てくれた。
診察前に、お気に入りの病院近くの喫茶店リニューアルオープンの日だったので2人でランチ(๑´ڡ`๑)

聞きたいことがたくさんあったので、喫茶店で順番待ちの間にメモ書いていった。
中待合前の血圧高め。嫌な予感と思ったら熱も高め…。まぁ仕方ない。

診察室に入って、メモをスッと出して術後の経過の話もそこそこに、メモの上からひとつずつ丁寧に答えてくださった。
診察室入って早々に術後(傷の事のつもりやった)問題なしです!って言ったら「何がどう問題ないの」って呆れられたw

①神経因性膀胱で腎臓に影響があるのか(腹圧で出せるが尿意は無し)
今すぐ腎臓に影響があるわけではない。
ただ、膀胱は尿を溜められる量が決まっているから、尿意が分からずそれをオーバーすると腎臓に負担がかかる。
残尿があると細菌感染しやすくなるので、導尿が必要になってくる。
タイマーとか工夫してトイレに行くようにする事。
残尿感があるなと思ったらすぐに言う事。

②腸閉塞は一度なったらなりやすいのか、予防法はあるのか。
なりやすいとも言える。とにかく便を溜めない事。

婦人科で処方してもらえなかったので入院中に飲んでいた漢方「大建中湯」が欲しい。
飲んだ方が良い。
婦人科でなぜ出さないのかと不思議がってらした。
それはわたしもです、はい。

④母が入院。病室通いで発熱、夜に嘔吐が増えた。
自宅介護になりそうで体力面が不安。プレドニン増やした方が良いか。
「ウェルニッケ…アルコールか」と渋い顔。そりゃそうだw
「まぁ病名をどうこう言ってても仕方ないね」といつもながら冷静で本当に助かる。
「嘔吐はたぶんストレス。精神科にも話してね。続くようなら胃カメラしよう。それでね、これでプレドニン1mg増やそうかって言うと無理な話で、数値も悪くない。なんなら術後調子良かったら減らしたいって言ってたのにねぇ…そうか。とにかく無理しないようにって言ってもしのさんの場合難しいな」…すき‼︎倒れないように頑張ります‼︎

⑤はしかにかかったら重症化しやすいのか。感染の可能性がある時の対処法。
「大阪でねぇ、これだけ出てるからねぇ。しかも百貨店って、正直なところ怖いし困ってます。重症化はなんとも言えない。とにかく人混みに行かない。でもいつもより熱の上がりが早かったらすぐに電話して下さいね」はい‼︎

「術後問題無して言ってたけど、問題大有りやね」からの苦笑。サーセン。
腸閉塞、神経因性膀胱ですものね、はい。
入院中に先生来てくださった日が1番しんどかったんですよ!って言ったら「確かにしんどそうやったねぇ」って笑ってたよw わたし泣きながらおなら出そうと歩いてた夜でした。
「絶食何日したの」(たぶん3日)「なんで予定通り退院できたの」(わかりません‼︎)と本来ならばこっちがメインになるはずだった話を最後にした。
神経因性膀胱はまぁ不便やけど困ってないから、腎臓が無事ならそれでいいやって感覚ですと言ったら「残尿感が出だしたらすぐ教えてね」って念押しされた。恐るべし残尿。

後は母のお見舞い問題。
実際1ヶ月入院されただけでこんだけしんどい。
疲れてるのに眠れないのが1番キツイ。
内緒やけど予備のプレドニンでドーピングしてる日もある。
飲むとすごい楽やから、ひとりで行く日で今日は運転が怖いな(片道1時間)と思うと飲んでしまった。

明日は精神科。
明後日は交通裁判の弁護士さんと陳述書の清書をしに面談。
明々後日はまた母の病院。
そしてあんだけ作った作り置きおかずがもう心許ないという現実(((((( ;゚Д゚))))) でも夫1人分くらいはあるから良し。
スーパー行きたい。
カットも行きたい…。

でも姉も平日仕事で週末は病院。
しんどいのは一緒だ。なんならわたしは行かない日があるからまだ楽な方だ。
夫はいま実家の外構する前の片付けを買って出てくれて、コーナンで工具借りてきてわたしたち姉妹じゃできなかった庭の植木たちをバッサバッサ捨ててくれて助かっている\(´ω` )/

また週末に姉と夫と3人で美味しいご飯食べに行って英気を養ってがんばろ\\ ٩( 'ω' )و //

いつの間にか術後1ヶ月が過ぎて
いつの間にか膠原病内科の検診の日が来て
いつの間にかちこが来て1年が経って
いつの間にか母が入院してもうすぐ1ヶ月になる。

2月の中旬は実家に泊まって毎日病室に通った。
夫が車を使う用事が多い週で、一日置きに電車で通うなんてしんどくて考えられなかった。
来週は実家に泊まるからねと母に伝えると、とても嬉しそうだった。
その間に毎日通ったお陰でオムツ交換を何とも思わなくなった。
入院までの数日、実家に泊まっていた時は絶対に出来ないと思っていたのに。

母の病名は「ビタミンB1欠乏症・ウェルニッケ脳症」で、入院が決まった時にはもう脳が萎縮してしまっていた。
母は20数年前に胃癌で胃を全摘していて、ビタミンB1・B12が摂取出来なかった事と過剰なアルコール摂取が原因だった。
父が死んでから明らかに酒量は増えていたけれど、ふらつきや話が噛み合わないのはお酒と既往症のすべり症のせいだと思っていた。
わたしは飲みたいなら勝手にすればいいと小言を言うのをやめていたし、姉が泣いて怒ってもお酒をやめてくれなかった。
引っ叩いてでも専門病院に連れて行けばよかったのかと今でも時々考える。

入院生活で認知症は徐々に進んだ。
前より話が噛み合わないし作話も増えたけれど、それも慣れた。
母に病識が無く入院生活にも文句を言わず穏やかにしてくれているのが1番助かっている。
リハビリの先生がとても優しくて褒め上手で、母は歩行器で歩くまでにもなった。
わたしが行かない日はしんどいと言ってリハビリを頑なに拒否をする事があるそうで、困っている。

2日間もつであろう枚数を買って置いてあるオムツパッドがお腹を下して一気になくなったり、あったはずのテレビカードが無くなってしまったりするから、やっぱり2日は空けられない。
テレビカード、使用済みとそうでないものの区別つけられるようにして欲しい。
あれだってテレビ好きの母が使うと結構な出費になる。

リハビリのお陰で自分でベッドから車椅子に移動は出来るようになったけれど、靴を履いたりそのまま移動したりは出来ないので、どうしても歯磨きは1日おきになる。

毎日行けるものなら行きたい。でも身体がついてこない。
病体に鞭打って、今は1日おきに病室に行くと決めた。

昼過ぎに病院に行き時間が合えばリハビリを見守り、晩ご飯が終わったら歯磨きしてもらって家に帰る。
週末の午前中に作り置きおかずを大量に作って、姉にも届ける。
姉にも会いたいし、娘2人揃って行くと喜ぶので土日のどちらかも行く。
ルーティン作業にしてしまえば夜も眠れるようになるだろう。

急性期病院から回復期病院に移ればもう少し楽になるかもしれない。
回復期病院はわたしが通いやすい近い所がいいと希望を伝えてある。

これからどうなるかなんかさっぱりわからない。
本音を言うと、後2年待って欲しかった。
術後すぐ動いたせいなのかSLEのせいなのか歳のせいなのかお腹はまだたまにジクジク痛む。

土地探し、出来ないだろうな。
お隣さんが変わって物音がうるさすぎて、ちこが怖がるようになってしまったので家建てる前に引っ越し考えてたけれど、そんな暇なくなっちゃったな。
在宅介護になったら実家帰らなくちゃな。
嫌じゃないけど、別居はやだな。

我ながら薄情な娘だと思うけれど、自分たちの生活基盤が整うまでもう少し時間が欲しかった。