そもそものきっかけは

息子のテストの解答用紙。



難しい問題が解けてるのに、

単純な抜き出し。

てにをはの間違い。

濁点のつけ忘れ。

カタカナの表記ミス。


といった小学校一、二年レベルの間違いの連発に

違和感を持った。



調べると




「書字障害」の症状にピッタリくる。










そもそもディスグラフィアとは。







知的発達に大きな遅れがないにもかかわらず、文字を「書く」ことに困難があるLD・SLD(限局性学習症)。文字をマスや行から大きくはみ出して書く、鏡文字を書く、などの症状がみられることがあります。





LD・SLD(限局性学習症)がある子どもは、しばしば「努力していないから書けない」「苦手なら人よりたくさん練習すればいい」と本人の努力不足を責められたり、「親が子どもに勉強をさせていない」などと思われたりすることもあります。






ディスグラフィアがあると、周囲の子どもと同じやり方では、どんなに本人が頑張って努力しても字を書くのが難しいため、ディスグラフィアなどのLD・SLD(限局性学習症)のある子どもやその保護者にとってこれらの言葉、偏見を向けられることがある。






  • 言葉と意味を理解していても、その文字を正しく書けない
  • 漢字の「へん」と「つくり」を逆に書く
  • 漢字の線(画)が足りない/多い
  • バラバラだったり、バランスの悪い文字を書く
  • 文字の書き順が不自然
  • 上下はそのままで、左右が反転した「鏡文字」を書く
  • 「ね」と「ぬ」、「ン」と「ソ」などの似ている文字を間違えて書く
  • 文字の書き取り練習のとき、文字の形が乱れたり、マス目からはみ出してしまう
  • 「て」「に」「を」「は」などの接続詞の使い方など、文法の間違いが多い





息子の場合、そこまで酷い障害ではないと思うので

ノートを書くことはできる。





が、いわゆる(小学四年生、年齢相応の)綺麗にまとまったノートが書けない。






日頃使ってる学校のノートを見たら、みみずの羅列だったw







テストはそこまで悪い点数ではない。








いわゆる文章を読み取る力はあるのだけど、自分の思考を言語化していくことが苦手なようで、日頃から状況説明下手だし、作文はさらに輪をかけて苦手なようだ。







ディスグラフィアと一口にいっても、出てくる症状は人それぞれ違う。










ディスグラフィアを含むSLD(限局性学習症)の原因ははっきりと分かっていないが、脳機能の偏りであると考えられている。





 

目や耳などの感覚器官から入ってきた情報を脳が処理する過程を「認知」と呼ぶが、この認知の過程のどこかに偏りがあるとされる。







ディスグラフィアの症状の中で、

DCD(発達性協調運動症)が関与している場合

があって、


字を書くなどの指先を使った細かな作業、または目などの感覚器官からの情報と指先の細かな作業との協調運動が同年代に比べぎこちない。






息子はこれにモロあてはまる。




筆圧が強すぎて、鉛筆の芯を何本も折るし

同じく圧力の加減が分からず、消しゴムを破壊しながら文字を消していく(なので一カ月もたずに消しゴムが無くなる)。






ハサミやのりの使い方の技術が幼稚園時代から進歩していない。




靴紐が結べない。







ナフキンで包んだお弁当箱を蝶々結びで元に戻せず、バラバラの状態で持って帰ってくる。







これもディスグラフィアの関連する症状の一つにあるらしく






モノと自分の距離感を上手く掴めない。






目から入ってくる情報と脳みその処理工程がバグを起こしてるのだと思う。






跳び箱や、ハードルは転んで傷だらけで帰ってくる。




今までは、この子可愛いなぁという気持ち半分。(このままでこの子は大丈夫なんだろうかと)少し不安な気持ち半分だったのだけど、





息子の苦手や出来ないが、全部脳の発達の問題によるモノなんだと分かったら、かえって清々しい気持ちになった。






大手を振って、脳の特性なので、私、出来ないんです。と大手を振って言えるんだ。

と私は安堵したのだ。








今回初めて知ったのだけど





SLDは発達障害の大きな括りの中の一つで、


自閉スペクトラム、ADHD、SLDが微妙に重なり合っているようだ。



息子は公園に行って、バットやグローブをしょっちゅう忘れて帰ってくるし、先週も熊本に行って路面電車に傘を忘れて帰って来た。






去年は、会津若松のバスにデジカメを忘れても来た。



この不注意もきっとADHDのような脳みそのバグなんだろうと思う。







これを知って抵抗感なくすんなり受け入れられるのは、私自身がADHDの特性を持っていると自覚しているからである。







何食わぬ顔して一般社会に紛れて、大企業で働いて来たけれど




子供の頃から、よく意識が飛んで、



ここはどこ?

私は誰?


状態で


授業中何をやってるか分からないことがしょっちゅうだった。



教科の好き嫌い、得意不得意が激しくて、高校の数学と物理はどんなに努力しても赤点だった。





国語は得意で、読解問題は解答となる箇所が本文の中で光って見えるほど分かるのに、苦手な算数は脳みその中でシャッターが降りて思考回路が停止する。








オフィスのデスクは綺麗だけれど(人に見られるので一応取り繕って綺麗にする)自分のバッグの中が整頓出来ない。


よく記憶が飛ぶのでいつも携帯を探して家を歩き回ってる。




出来る出来ないの差がびっくりするほど激しくて、自分でも呆れたし落ち込んだ。



やる気がないのではなくて、やれないのだ。



誰にも言えなかったから、いつも全力でその場を取り繕って大人になった。






すべてを平均的以上に万遍なくやる




ってどんなに拷問なんだろうと、学生時代の私は思って苦しかった。








大人になって、

その特質はどうやらスターシードの特性で

出来る出来ないが歪なのは当たり前だし




私が子供の頃よりも、

そういう子供も、それからそうやって診断される大人も沢山いて





それをサポートする制度や教材も沢山ある

ことを知った。







凸凹が当たり前の時代がもうそこまでやって来てるのだ。





ちなみにうちの息子は

目からの認識にバグを起こしているが

聴覚からモノを捉える能力がとても高くて

なんでも音で覚える。






バスの音声広告は自然に記憶して、英語の音声案内も覚えてる。





目からの情報からデータをとるより、耳からの情報処理が得意だということだ。







何かが得意なら何かが欠落してる。



何かが出来ないなら、別のことが出来るのだ。








長嶋茂雄も黒柳徹子もADHDだし





文字を読むことが苦手な方のディスレクシアは

スティーブンスピルバーグ、トムクルーズと著名人にも沢山いる。





堺雅人は、早稲田を出てるけど、レジのお釣りの計算が出来ない、数字が分からないLDらしい。




こんなに発達に凸凹がある人が沢山いる。




この前、市がやっている

発達障害のサポートセンターに行って面談をしてきたのだけど、





そのセンターの相談員さんと





何かが得意で

何かが苦手なのは

みんなそうで





大きな括りでいえば






世の中みんな

何かしらの

発達障害ですよね

笑いあった。