機会があって先月、田口ランディさん(作家)のお話を聞く機会があった。

お名前はずっと以前から知っていたものの、

お話や著書を読む機会はずっとなかった方だった。

その講演会も、実は用があって途中から参加し後半しか聞けなかったのだが、

なんだかとても印象深いというか変なところで共感してしまっている。


これほど作家さんとして成功されている方なのに、

”私は自尊心がどうしても低いんです”、というような事をおっしゃっていた。

そして子供のころの家庭事情を話してくれた。

お父様がひどい酒乱であったこと。

普段はとても優しいお父様なのにお酒を飲むと

いつもいつも家のものをめちゃくちゃにされる、と。

年の離れたお兄様はいつもお父様になぐられていた、と。

その後のお兄様は成人しても、世間並みに社会に出て

職を見つけて働くことがどうしてもできず、

アパートで餓死(腐乱死体で発見)された、という家庭事情のお話。

残された家族の気持ち、なかなかお兄さんを許せなかった

妹ランディさんの気持ち。。


自殺してしまったお兄さんにとても共感する気持ちが私の中にどうしてもある。

きっと子供のころのお兄さんは妹や母親を守りたかったのだ。

誰だって同じ状況下で成長すればそうなるよ、という共感が私の中にある。

勿論、残された家族こそ最もつらいのだが、お兄さんはお兄さんなりに

精一杯生ききったと思うのである。もういいではないか、と。

自殺したことを責めては可愛そうだよ、という気持ちでいっぱいになる。

自殺は全面的にいけないという世間的な考えは、単にその人の痛みやつらさを

理解してないだけで、逆にそういう考えは残酷だと私は思う。

勿論、残された人の痛みやつらさも考えると、自分を何度も何度も責めてしまう気持ち、

残された人のほうがそういった辛さを引きずって生きてゆかなくてはならず、

辛いだろうな、ということも十分理解できるのだが。。


一方でランディさんについても、

一般的には作家として成功しているにもかかわらず、

世間の自分に対するよい評価なりに対してまず"イエス"といえることがないんです、

どうしてもこういった家庭環境に育つと、どうやら自尊心が低く育ってしまうんです、

とおっしゃっていたお話にも、やはり共感してしまった。

私はこれほどまでの家庭環境ではないけれど、それでも、

人からよく、理想が高いのよ、という、一言を言われる、

が、理想が高いわけではない、という違和感がどうしてもうまく説明できなく、

相手に分かってもらえない、というあきらめの気持ちでこういうとき押し黙ってしまう。

私自身に問題(自尊心なのだろう)があるのは大いに認める。

それこそが、いつも満たされない気持ちで、その反面、他者に多くを求めてしまいがちになる、、

けれどもそれは外に求めてもだめで、自分の自尊心の問題なのであって

理想が高いわけではない。理想を低くすればよい、という問題ではない。

私にとって難題なのは、簡単に自尊心を変えられないことだ。

すぐ、やっぱり駄目だ、って子供のころから身につけてしまったくせがなかなか治せない。

そして、人に理想が高いのよって言われるたびに自分を又責めてさらに悪化させてしまう、

どうしようもない性格なのだ。


自分を取り巻く世界は変わらないのに、

自分の見方が変わるだけで世界は全然ちがったものになる、という実体験のお話も

されていた。にも拘わらず、生きてゆくことの苦しみとか辛さとかを、

ブッダについて突然本(サンカーラ)にしたくなったんです、というお話を交えながら

語ってくださった。

その後、図書館でサンカーラを借りて読んでみた。

原発のこと、オウム事件の死刑囚の方との文通など。。

こんなに世の中の根の深いところに拘わって、一生懸命生きようとしているランディさんが、

著書の内容はそういった世の中の深い問題に対しての結論とか意見論評ではなく、

とても素直なランディさんを感じた。