習性(本能)に敢えて逆らう訓練、なんてタイトルに書くと

なんだか、気功をやっている人間の話かと思いそうだが、

ここでは犬の話である(笑)。

でもテーマは”Tao”にしてみた。


ここ数日、ドッグトレーナーの学校での実習授業では、

”マテ”(待て)を教える訓練をやっている。


自分の左について(お座りして)いる犬に、”マテ(待て)”と

コマンド(指示)をいれ、自分は犬から遠ざかり(遠隔)、

こちらが犬を解除する最後まで犬が”マテ”が

できるようトレーニングするものだ。


最近のトレーニングは難易度が増して、ただ”マテ”をさせるだけでなく、

敢えて第三者に誘惑をいれてもらう。

犬の大好きなフード(おやつ)を

敢えて嗅覚の優れた犬の前に置いてみたり、

動くものを追っかける習性が特に強い犬に、

敢えて犬の前にボールを何度も転がしたりする

(↑ボーダーコリーやマリノアが対象だった) 

或いは、超小型犬(トイプードルやダックスフンド)の周りを、

巨大な人間が大きな足でドカドカと踏みつけんばかりに歩いたり、

(可哀そうに怯えて震えている仔もいた)、


というような誘惑だ。


当然ながら人間と違って、動物は五感が優れている。

それに人間が忘れてしまっている本能が強く残っている生き物だ。


その動物たちに、人間社会下では野生のままでは共存できず

お互いが不幸になってしまうため、敢えて人間のしきたりの下で

安全に生活ができるよう、しつけを覚えさせる

というのがトレーニングの目的だ。


人間には簡単に思えるだろう、が、きっと相当

彼らには忍耐やストレスが多くかかるものなのではと思う。


犬って、本当におバカさんで可愛い、

と勘違いをしている人間さんも多いだろうが、

それは違う、と思うのである。

想像でしかないが、優れた五感や習性(本能)が

強い動物にとってはとても忍耐がいることなのだろうと思う。



犬に遠隔で”マテ”をかけ、

その間様々な誘惑が何度も犬の前を通り過ぎる間の、

犬を見守る自分の心の動きを観察してみる、と同時に、

犬を信頼しようと(この子は大丈夫)と自分に言い聞かせて臨んだ。


言ってしまえば、危険の多い外の世界ではなく、

スクール内での絶対的な安全な場所であるのと、

犬もコンディションや人間とのコンビネーションにもよるものの、

基本、トレーニングがすでに入っているスクール犬達なので、

実際、信頼しやすいし、偶々だが自分の時は犬は誘惑に打ち勝ってくれた。



ところで、、全く話変わって人間の場合、

気功や瞑想中に、誘惑、(雑念といったほうがよい?)が

通り過ぎたらどうするのがよいのだろう?

坐禅でもそうだけど、ただ通り過ぎるのを眺める、

というのが正解だろうか。

(観音様とか出てきたら、(狂しくなるから)迷わず斬れ!

とも坐禅では言われるそうである)


じゃあ、気功や坐禅や瞑想中ではなく、

日常生活においてはどうだろう?

雑念は場合によるが必要情報であろう。

誘惑はその種類にもよるが、

冒険好きの私には当たって砕けろの精神で

これは!と思えば大いに乗ってしまいがちである。


では日常と瞑想中との違いはなんだろう?

気功の瞑想中、時には流れてくるものに乗ってしまうのは

やはりいけないのだろうか?

恥ずかしいが、、なんだか、それが分からなくなっている。


それから、、、”習性(本能)に敢えて逆らう訓練”って

犬ほど本能は強くないものの、日常社会生活の中での人間って

割合的にはどのくらいのストレスなのだろう、とも立ち戻って思ったりする。


もし、ペットとしてではなく、人間社会下にいる必要のない犬だとしたら、

目の前に動くボールがあれば飛びつくのが自然だし、

フード(おやつ)が目の前に出されれば、身体のために食べるのが最も自然だ。

(人間は日常社会では本能のままでいるのは、勿論いかん、が)

瞑想中の人間はどうあるべきなのだろう?

雑念と誘惑と流れてくるものをごっちゃ混ぜにしているのかも。