毎月の月会費削減のため、

残念だが3年続いた伝統あるスイミングスクールを退会し、

今月より月会費が安いスポーツクラブに転向した。

肝心のプールは、やはり伝統あるスイミングプールに比べると、

お風呂みたいに小さくて狭い(涙)。

なので、のびのび泳げず、すぐ飽きてしまいとても残念に思っている。


だが、代わりにスポーツクラブでのメリットといえば複数あるスタジオなどでの

ヨガ、ピラティス、気功法、ホットヨガ、骨盤スリム、ストレッチポール、バレー

グループコア、ジャズダンス、フラダンス、ジャイロキネシス、ヒップホップ等々

他にもさまざまなメニューがあり、早速楽しんでいる。


まだ、始めて浅いのだが、、、色々なメニューに参加して感じる事がある。


それは、

一つ一つが、いちいち、実に奥が深ーい、と感じてしまうこと。。

それから、もう一つは、

それぞれが全然タイプが違うものなのに、

なんだか、究極的には、もしかして、すべて同じことをやっている?

という感覚にとらわれてしまっている。。


自分が求めているからそう感じるのか、

それともやはりもともと”身体を動かす”という行為自体、

気功教室でやっている、練功や瞑想に通ずるものがあるから

そう感じるのか、どちらなのかさえ分からない。


ヨガは確かに、気功に類似する。

けれども、骨盤スリムとか、ストレッチポールやピラティスボール、

ジャイロキネシスなど なんだか皆、

究極的に同じものを目指すためにやっているような、

そんな感覚に捉われるのは考えすぎ?気のせいだろうか??


勿論、身体を動かすこと自体、中国気功的に言えば、

経絡ストレッチであり、身体や骨のゆがみ、

心のゆがみをほぐすことにつながるのだが、

そういうことをいっているのではない。


ひとつ分かったのは、

すべてに共通していること、

それは、”呼吸”だ。

呼吸とともに、身体を動かす。

それからその身体というのは、

”体幹”を意識することではないかと思う。

(丹田もおそらくそこに含まれる)


それにしても 気がつけば、

スポーツジムの”ジム”というのは、

ギリシャ語の”ジムナス”が語源になっている。


古代ギリシャでのジムナスとは、今でもオリンピック競技になっている

重量上げだったり、円盤投げだったり。

ただ、当時は競技としてではなく、

病気にならないようにするための運動だったそうだ。


これは、なんと中国でいう気功と同じではないか!と気がつく。


そして、その先に、、病気にならないようにするため、

という目的も当然”身体”を持つ限りあるのだろうが、

もっと大きな何かがあるように感じてしまうのは、

やはり考え過ぎだろうか?  

今の私にはわからないことだけど、

いずれにしろ、一つ一つのプログラムが全然違うものなのに、

とても奥が深ーい気がして、すごく面白い。


ついでに付け加えると、多くのプログラムの中で

”気功法”が正直、一番つまらなかった。(ここのスポーツクラブでの話)

どうしてかというと、

足裏をたたいたり、三陰交とか、それぞれの経絡のつぼを指で押したりと、

とても”部分”でしかないのだ。

勿論、それだけじゃなくて、太極拳の時の準備体操

(但し、八段錦でもなく、その前段階の膝の屈伸とか、腕の上げ下げ)

みたいなのもやるのだが、何かが違う。

そこには、何も静寂が起こらないぞ、楽しくないぞ、って感じてしまい、

わたしにとっては、一番がっかりだった。


それにしても、話を戻すが、

こういったあらゆる運動(テニスなどのスポーツにも)共通する、

呼吸とはなんなのだろうか、体幹(軸)とはなんなのだろう、

そしてさらに身体を持っていてそれを動かすこと、とは

なんの意味があるのだろう、

と思ったりするのは、さすがに考えすぎだろうが、

ふっと思ってしまったりする。