10月12-14日の精進湖での気功合宿(2回目)を終えた。
私が参加する気功合宿はこれで3回目(春1回、秋2回)。
毎回の合宿ごと、先輩たちが、いままでで一番お天気が良かったとか、
内容が最もよかったとか色々言われるが、
今回の精進湖合宿では、過去の精進湖合宿の中で
これほどずっと綺麗だった富士山をみれたことはない、という。
私は毎回それぞれの合宿に参加するたびに、
なんてラッキーなんだろう、と思わざるおえない。
確かに、赤富士や幻想的な朝靄の中の(まるで神話の世界のような)富士山、
不思議な雲。。
本当に刻々と変わる、色々な不思議な富士山を3日間フルで拝ませていただいた。
今回の合宿、
3日間とも、本当にひとつひとつが充実していた合宿だったが、
中でも私にとっては3日目の体験がとても身体に響いた。
帰りの車の中でも、他人に気づかれないように、
思い出して泣いてしまうのを一生懸命抑えていて、
早く帰宅して独りになって存分に泣きたい、と思った位だ。
うまく説明なんてできない。
言葉にすると、、とたんに誇張になったり、作ってしまいそうだが、
それでも思い出として、日記に書こうとする。
これは、私の中の世界観での出来事だ。
合宿で体験したことは、人によって受け止め方は全然異なると思うが、
私にとっては、ずっと神話やジョーセフキャンベル的発想が
自分の中の残っているので、
それが私にとっては今回の合宿のテーマとなった。
人生そのものが瞑想。
瞑想はその人の意識によって左右されるが、
どうしたら意識を高めることができるか?
一つには、”神話”がそのヒントになりえる。
3日目の体験は、神話=そうぞう(想像/創造)、
人生そのものが瞑想であり”そうぞう”の世界、
などを連想させ、皆さんそれぞれの、そういった世界観を感じさせてもらい、
感動で嗚咽が出そうになるのを抑えるほど、ぐっときてしまい、
先生にどうでしたかと感想を聞かれた時も
正常に話ができなくて、のどが詰まってただ泣いているしかなかった。
ああいうのって、(昔から)私は本当に涙腺が弱くなってしまう。。
ああいうのって、何かと言うと、例えば、
コーラスや合唱で、皆がそれぞれ一生懸命歌っているシーンをみたり、
聴いたり感じたりするような体験。
こういうのに昔から凄く涙腺が弱くなり泣いてしまう。
でも、3日目の体験はコーラスなどというものより、もっと凄いものだった。
大学生(英文学科)の時に、大学の授業で教授が、
”ある一人の人の一生を、もし小説にしたならば、
それはどんなに平凡であったと思われる一生でも
必ず読んだ人を感動させる小説となる”
といった言葉を思い出させた。
みなさんそれぞれの生きざまとか、
一生懸命生きている姿勢とか、を感じさせるような、
そして、まさにだれ一人、感動しない人なんていない、という、
そういう一人ひとりのドラマをもみせてもらったような感覚たった。
一体、それはどんなワークショップだったのでしょう?
それは、、ご想像にお任せです。
自分でも不思議である。
振り返ってなんでたったあれだけのことでぐっと来てしまうのか。。
変だよ、あなた、、って別の心が否定しようとしている。