パリは、不思議な街だ。

保守的なようでいて、

異邦人を優しく受け入れてくれる。

外部の才能や血を内部に柔軟に取り込み、

自分のパワーに変えてしまう。

そんな自由な空気が私を育んでくれたのだ。

高田賢三 

 

 

 

 

 

 

 

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1693年(元禄6年)、

イギリス・ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌

『ザ・レディス・マーキュリー

(The Ladies Mercury)』が

創刊された。

 

この雑誌は、

男性と女性の両方に向けた

週刊誌『ジ・アセニアン・マーキュリー

(The Athenian Mercury)』から

派生した雑誌として発行された。

 

恋愛や結婚など女性の

悩み相談を扱った雑誌で、

その内容は現代から見てもかなり斬新で、

現在でも「Ladies Mercury」という言葉は、

女性の性の悩み相談という

代名詞になっている。


ちなみに、

日本初の女性雑誌は、

1884年(明治17年)6月に

近藤賢三が創刊した

『女学新誌』である。

 

新聞に福沢諭吉らの婦人論が

活発に登場したのに刺激されて

近藤は誌面の一新を図り、

翌1885年(明治18年)7月に改めて

『女学雑誌』を創刊した。

 

「女学」とは、

「女性の地位向上・権利伸張・幸福増進のための学問」である。


また、

1911年(明治44年)9月に

平塚らいてう等の女性による

月刊誌『青鞜(せいとう)』が創刊された。

 

当時の日本では、

女性は民法で家父長制に従属させられ、

選挙権はなく、

政治活動は禁じられていた。

 

そんな時代に、

明治という新しい社会にふさわしい

日本女性を作り出す目的で

女性雑誌が発行された。