春が近づいてきて気持ちの良い暖かい日が増えてきましたね🌸
幸せ探求家☆ゆみらんです
今日は自分は愛されていないとトラウマについて、私の体験談をお話ししたいと思います。
私は両親から愛されていない。40歳過ぎるまでずーっとそう思って生きてきました。私の母は昔、厳しくて変わり者でイライラしている事が多いイメージでした。だから母がキライでした
父はギャンブルにハマってしまい週末になると競馬や競輪場へ出かけていく、子供のことはほったらかし。仲の良い親子を見ると羨ましくて仕方がありませんでした。
どうして私はこの家に生まれてきたんだろう。
そういう問いがずーっと中学生くらいからありました。ある本で、「自分に起きる出来事は全て意味がある」や、「子供は自分で母親を選んで産まれてくる」などと書いてあり、じゃあなぜ私は母を選んできたんだろう。と思いました。その答えはまだ出ていませんが、自分も子供を持つ親となり、少しずつ見えてきたものがあります。
私の父は、私の記憶では、とにかく家の事は母任せで、週末になるとギャンブルに出かけていなくなる。母は大変だったと思います。仕事もしていたので、仕事、家事、育児とほぼ1人でワンオペ状態
なのでいつも疲れていてイライラしていたんだと今では理解できます。一緒に遊んでもらったり、愛情を感じた記憶はありません。
「愛されていない」という思い込みでずっといたので、ないないという目線で見ていたんだと思います
以前、部屋の片付けをしていたとき、私が幼稚園の頃に母と一緒に撮った写真が出てきました。
写真の中で、母は私の手をしっかりと握っていました✋
もしかしたら愛されてないというのは、私の思い込みだったのかもしれないそれに気がついて、涙が出てきました
そこで、母が私にしてくれたことを思い出してみました。私はピアノを習った事があり、その時にピアノを買ってくれました。(ピアノはすぐにやめてしまいましたが…💦)中学と高校生の時に、オーストラリアへ短期留学等で行かせてくれました。塾も行きたくなかったけど、隣町まで夜送迎してくれてました。部活でバイオリンをしていたら、バイオリンを買ってくれました🎻
今思えば愛してなければこのようなこと↑はしてくれないですよね
抱きしめられたり、一緒に遊んでもらった記憶はないけど、母なりに尽くしてくれていたのではないかと気づきました。
先日母に「昔は何もしてあげれなくてごめんね。」と言われました。母もきっと、もっと私に何かしてあげたいことがあったんだろうと思いました。
そんな訳で、ないということにフォーカスをするとないという現実が映し出されます。一方あることにフォーカスをするとある現実が出てくることが分かりました。良い思い込みは良しとして、ネガティブな思い込みは本当はあるものも消してしまう、要注意ですね
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます
自分色の花を咲かせよう🌸