10年前から癌を患っていたらしい母。




























父が亡くなった時からだな。

まーだまだ生きたいと言って
体操も病院での検査も家の仕事も
孫の面倒も

とにかく手を抜かずにやってきていた。

癌だと宣告を受けたのは昨年の6月。
ということは、癌のことは知らず
日々、懸命に生きてきていたということ。

妙に背中や腰が痛い。
膝が痛いし股関節も痛い。

そう言っては整体に通っていた。

昨年6月に分かったのは
その痛い場所は全て骨折していた。

整体に行ったのに
直ぐから痛いと言っていたなぁ。

そりゃ、想像以上に痛かっただろうに。。
可哀想なことしてごめんね。

昨年6月に告知されたときの癌の状態は
『もう、美味しいものを食べて、好きなことをして生きましょう』
という内容でした。

妹や弟も一緒になって
隠れて泣きました。

医師は母にも癌のことを宣言したのにも関わらず、そこだけを聞き逃していたらしく、癌だと思わず1年を過ごしてきました。

今年、治療法をガラリと変えないと
痛みで可哀想なことになるとのこと。

治療法がなぜ変わったの?とならぬよう
今度は顔色を見ながら
分かりやすく伝えたという。

妹は母の手を握り
弟は母の背中をさすり

その様子を聞いたとき
ただただ泣いては
母の心境と妹や弟の心境までも
感じていた。

母は『 家で死にたい 』といいます。

もちろん、そうして欲しい。
だから皆、母の想いに賛成。

その時期がやってきたら
私はしばらく
母がまだ明るく生活できるうちから
ともに暮らしたいと思います。

母はいいます。
『 お母さんはどういう最期を迎えるのだろうかねぇ 』

私たちも考えていることだったから
『 死ぬことよりも、それまでが怖いよね 』

『 決して強い人ではなかった父も叔父も、立派に旅立ったじゃないの。大丈夫だよ 』

そう妹は話したそうです。
いいこと言うね。と、感謝しました。

私は私の両親は死なない!と信じていました。
葬儀の仕事をしていて、何言ってんの⁉️と
思われるでしょうが、本当なのです。

いなくなる想像が全くできなかったのです。
父が逝き、心の底からこんな感じなのだと
実感したくらいです。

長くなったな。
今も何箇所も骨が折れて過ごしています。
骨全体に癌細胞が張り巡らしていて
今ではDNAすらもう、変わっています。

ですから何があっても輸血はできません。

親を家族を大切にしよう。
改めて強く思う私ら家族です。