③から続く11月の史跡巡りの続きです・・



さて、六本木を後にし、向かったのは御茶ノ水にあります湯島聖堂音譜

ここね、御茶ノ水駅から徒歩1分なんですよ。なのに、歩けど歩けど

ないし・・・。一体どこ!?って思っていたら、なんのこっちゃない、

反対方向にどんどん早歩きで歩いていた私ドクロ順天堂大学があるから

おかしいなぁって思っていたのよねw (←思ってたなら早く引き返せガーン

こんなとこで迷ってる場合じゃないので、小走りで戻っていくと、ありましたw



ここはお犬様で有名な德川綱吉公が創建した聖堂で、寛政9年(1797)より

幕府直轄学校として名高い「昌平坂学問所」(通称:昌平黌)を開設

しました。(湯島聖堂HPより)その、昌平黌には、晋作さんが20歳の頃に

学んでおりました音譜


 

昌平坂。この坂登って学校行ってたのかな?とか思いながら・・にひひ


 

私が入ったのは仰高門からでした。
 この仰高門、立派ってだけではなく

ちょっとした有名(?)門。・・というのも、写真左隣にある小屋(?)みたいな

建物。これは、新選組副長助勤であった斎藤一さんが晩年、門衛をしていた

場所だというのですニコニコ


警視庁を退職後、この東京女子師範学校(現:御茶ノ水女子大学)の付属博物館

看守(門衛)や、庶務・会計などしていたらしい。その門衛の詰所がこの建物にひひ


 ここに斎藤さんがいたのかも・・


さて、仰高門をくぐり、しばらくいくと、屋根の上から見下ろす視線目


 むむ!見られている・・


こういった守護獣がいたるところに見られましたよ。


そしてまたしばらく行くと・・・・・・大きな孔子様叫び


 


孔子像としてはなんと世界最大目 高さ4.5mとな。残念ながらこれは昭和の時代に

ここへ寄贈されたものなので晋作さんはこんなデカい孔子様は見てない・・・はずw


この後階段を登り・・入徳門。聖堂内唯一の木造建築物。


 工事してた・・


ここくぐると、手水舎。
 


そしてまた階段登ると・・・杏壇門。


 絵馬がいっぱいありました。


で、杏壇門をくぐると、大成殿!


 

残念ながら私は平日に行ってしまったので、公開されてませんでしたしょぼん

土、日、祝日のみ、内部公開してます。でも、建物が大きくて、すごく立派で

外観だけでも、圧巻でした。


「大成」というのは、孔子廟を意味するのだそうです。


ここ、昌平黌では、儒学・漢学のほかに皇学(国学、神道)を教えていたらしいのですが

萩の明倫館時代にはすでに「自笑」という自作の漢詩で儒学のつまらなさを訴えて

いた晋作さんにとっては、こんな幕府直轄の最高学問所でも、刺激が足りなかった

ようですねにひひ


ちなみに、その「自笑」というのは、こんな詩。


百年如一夢 何以得歎娯 自笑平生拙 區區學腐儒


意味的には・・・


百年なんて夢のように早く過ぎる。どうやって人生を楽しく過ごすべきか。

しかし今の自分はくだらない時代遅れの儒学を面白くもないのに学んでいる、

愚かなことよ。

(現代語訳による)


訳だときれいに訳してあるけどさ、「腐儒」ってwwww そんな晋作さんにとっては

面白くなかった儒学、私は興味ありますにひひ


晋作さんがこの昌平黌に入学している間に、いよいよ安政の大獄がひどくなり

松陰先生が伝馬町牢屋敷へ入獄します。そこで晋作さんは書物を差し入れたり

金品を差し入れたり、いろいろお世話します。そのため、「国犯」である松陰先生と

晋作さんが接触しているのを恐れた晋作さんのお父様が、萩へ呼び戻して

しまいます・・しょぼん その萩への道中に、松陰先生は処刑されてしまい、萩に着いた

晋作さんは悲報を聞くことになりますしょぼん


そういう事を考えながら、大成殿の前でしばしボーっとしていると、またもや

視線を感じて目

 鬼龍子と呼ばれる守護獣。


かっけー。フランスのノートルダム大聖堂なんかにもガーゴイルとかあるけど、

あれは雨樋なのに対して、ここの霊獣たちは、完全に守護獣ですよね。


さて、戻る途中・・・


 

昌平坂の塀もそうだけど、このナミナミの塀、歌川広重の絵なんかにも

描かれているので、江戸時代から残っているものみたいです音譜つい

触っちゃったw


この後、御朱印をいただいて・・
 


ここの事務所にはたくさん論語とか、儒学、朱学に関する小難しい本が

並んでいましたが、私は「えんぴつで論語」という本を衝動買いにひひ

孔子様の、有名な論語を、えんぴつでなぞる・・というもの。

まだ時間なくて、ちょっとしかできてないんですけどね。


たとえば、第一日目は、テーマが

「学びて時に之を習う」で、原文である


「子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、

人不知而不慍、不亦君子乎」


というのも載っているのだけど、なぞる部分はその書き下し文。


「子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、

亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。」


そこに現代訳がついている。

「先生はおっしゃった。「物事を学んだら、折に触れ、おさらいする。

なんと嬉しいことではないか。同じ志を持つ友人が遠方からやってきて語り合う。

なんと楽しいことではないか。誰も自分の実利うをょ理解してくれなくても、

不平不満に思わない。それこそ立派な君子ではないか。」」


これだけでも十分わかりやすいのに、さらにそこに、この本の監修の安岡定子

さんのわかりやすい解釈文がついている。

「趣味でも仕事でも勉強でも、日々取り組んでいることが形になると、とても

嬉しいですね。同じようにがんばっている友人、知人と会い、交流することも、

また楽しいことです。あなたのがんばり、取組みが人から理解されないことが

あっても、がっかりすることはありません。人から評価されるためではなく、

自分のために努力し続ける人こそが君子なのです。」


これなら楽しく論語を学べそうでしょう?ニコニコ

孔子は「仁」すなわち、思いやりを大事にして儒学をひろめました。その孔子の

言行や弟子たちとのやりとりを記録した思想の書が論語です。今の時代にも

人生のアドバイスとしてじゅうぶん役立つものばかりです。


そのうち、松陰先生が愛読していた孟子のも勉強してみたいなぁニコニコ


・・・さて、湯島聖堂を後にして、次に向かったのは御茶ノ水駅あたりにあったはずの


安積艮斎見山楼跡
今はあとかたもなく、丸善御茶ノ水店になっています。



安積艮斎は幕末の有名な儒学者です。この人がここに開いていた私塾が

見山楼。富士山がよく見えたから、見山楼と呼ばれたそうですニコニコ

この人の門下にはたくさん有名人がいます。小栗上野介(のちの小栗忠準)、

岩崎弥太郎などなど。その中に、なんと松陰先生と晋作さんもいるんですアップ

松陰先生が下田で密航しようとして掴まった際には、刑の減免に尽力したと

言います。そして、ほかにも、清河八郎なんかも名を連ねていて、とにかく

有名な先生だったんです。儒学のほかにも、幕府の外交顧問のような

仕事をしており、ペリー率いる黒船が来航した際、ペリー持参のアメリカ

大統領の手紙の翻訳をしたりしてます。「ほめる教育」の実践者でした。


晋作さんもこの周辺歩いたのかなぁとか思いながら、丸善の写真を

撮ってる怪しい私を想像してみてくださいにひひ じろじろ見られるのは

歴女には仕方ないことですw


さてさて、お次は御茶ノ水駅から千代田線に乗って、表参道へDASH!

目指すは西麻布にある長谷寺(ちょうこくじ)。ここには、晋作さんの友、

井上聞多こと井上馨のお墓があるのですにひひ


・・・しかし、この長谷寺。駅から結構歩くので、方向音痴の私には、たどり着くのが

ほんと大変でしたショック!渋谷からバスに乗ればよかったのだけど、私の持ってた本には

表参道からの地図が書いてあり、そんなに難しくなさそうだったのですが・・・・・・

実際にはふつうの住宅街を通り抜けていくので、めっちゃ迷ったガーン しかも、

携帯のナビを頼りに行ってたら途中で充電切れちゃうしドクロ充電器、そんなときに

限って持ってきてなかったから、仕方なくコンビニで充電器購入しょぼん そんなこんなで

がんばって30分くらい歩き回って・・・ようやく到着DASH!徒歩10分って書いて

あったのに・・・ガーン 根津美術館からがわかんなかった~。


 山門。見つけた時泣きそうだったwww


実はここに入ろうとしていたら、イギリス人のお姉さんに声をかけられたあせる

Is this "Cho-kokuji"? I'm looking for Ohaka of Kaoru Inoue.」

うぎょ目 マジですか?さすが長州ファイブの聞多。イギリス人にも認知度

あるのか目 ということで、一緒にお墓参りすることに(爆)

なんでも、日本の歴史を勉強している学生さんなんだそうです♪そこから

長州ファイブにたどり着き、聞多に興味を持ったということでにひひ

マニアックな外人さんでしたww


二人で境内に入ってみたら、広いのなんの!


 

ここは曹洞宗のお寺で、御坊さんたちの修行道場もあるそうです。だから

なのか、鐘楼を鳴らす御坊様、お墓を掃除する御坊様、などなど

数人の御坊様がうろうろしてましたよにひひ



 法堂(はっとう)



 観音堂

 鐘楼。


 手水舎。


その他にも、素敵な庭園や休憩所なども。


 

 


 観音様の像もたくさんアップ


お墓に行こうとしたんだけど、まず御朱印もらおうかと思って、社務所も

兼ねている大庫院へ。そのイギリス学生さんも御朱印に興味津々だったので

一緒に行きましたにひひ


御朱印とは、昔は写経を納めた時にもらう受付印のようなものだったそうですが

今では朱印代を納めて書いていただく、お参りの証のような感じです。

そう説明すると、とっても興味を持って、さらに私の御朱印帳にも興味を

持ってくれたけど、残念ながら長谷寺にはオリジナル御朱印帳がないので、

半紙に書いてもらって、今度どこか違うお寺や神社で御朱印帳を買うときに

貼ればいいんだと教えてあげたら、とっても喜んでましたよにひひ


いただいた御朱印↓

 麻布大観音。


この御朱印書いてくださった御坊様のほかに、御住職さんなのか、それとも

御隠居様なのかわからないんだけど、かなりご高齢の御坊様がいて、

「井上馨さんのお墓をお参りしたいのですけど」と言うと、墓地の

説明をしてくれて、場所を教えてくれましたニコニコ 他にも数人いた若い御坊様たちも

「とにかく石燈籠やら何やらが全部大きいので、すぐわかるはずです」とw


さぁ行こうとしてたら、その御隠居様がひたすらついてくるwwww

墓地入口までついてきてくださったにひひ さすがに境内では迷いませんよw


この長谷寺の墓地には聞多のほかにも、俳優の坂本九さんとか、お笑い芸人の

エノケンさんとか、いろいろな方のお墓があるそうですが、私と外人さんの

目的は聞多なので~


じゃじゃんアップ
 ほんとだ、石燈籠でかいw



 聞多のお墓。


井上聞多(のちの井上馨)は、幕末の長州藩の中級武士の出で、藩主さまの

お気に入りで、活躍した人です。晋作さんたちのお友達ですが、実は松下村塾には

入門してません。村塾生ではないけど、過激な長州の攘夷グループと行動を共に

していて、品川御殿山のイギリス公使館焼き討ち事件なんかにも参加して

います。その後、長州藩が幕府に秘密に留学生を派遣(長州ファイブ)し、

聞多はいろいろと世界情勢などを勉強します。そのうち、長州征伐などが起こり

藩の危機を知った聞多は、俊輔こと伊藤博文とともに帰国し、晋作さんとともに

討幕運動に奔走しました。


維新後は外務大臣や大蔵大臣などを歴任したり、欧米化をすすめるために

鹿鳴館を開いたり(しかも自分の誕生日に開館ww)、いろいろとやりとげた人ですが

汚職事件でも有名ですよねガーン でもちょっと、聞多をかばうとすれば、もともと

長州藩士たちには公金と私金を区別するようなことがあまりなかったんですよねあせる

藩主さまがなんでも「そうせい、そうせい(そうしろ)」と言う人だったので、

聞多たちは自由に藩のお金を使って攘夷運動などができたんです。それが

当たり前のようになっていたので、維新後も国のお金を使って何かをするのは

悪いことだなんて思ってなかったのかもしれませんねガーン


隣には奥様のお墓。



全体像。やっぱり全部大きいw


聞多にも挨拶できて大満足ニコニコ 外人さんはその後は青山墓地に行くと

言ってました。私は、この後原宿のジャニーズショップに寄り(←)

最終目的地の日比谷公園へ向かいましたにひひ


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