さて、六道ノ辻から次に向かったのは、自転車で数分のところにある、新政府軍の戦死者たちが葬られた報恩寺です。


立派なお寺です。栃木県内で最多の官修墓地があるそうです。
入ってすぐにある山門。こちらは創建時からあるそうで、寛永16年のものだそうです。377年前のもの!

素敵です

そして本堂。この日は開いてなかったので、外から手をあわせました。


もともとあった本堂は戊辰戦争時に焼失してしまったので、こちらは建て替えられたものです。(だから新しいです)

本堂に向かって右側すぐのところに戊辰薩摩戦死者墓があります。


こちらも戦死烈士之墓。薩摩藩だけじゃなく、長州藩、大垣藩の名も
見られます。


その横に戊辰戦争の碑がありました。


続いて、報恩寺からほんとにすぐのところにある一向寺へ。


こちらのお寺にも戊辰戦争慰霊碑があります。


本堂の左側に墓地があるのですが、まっすぐ進んで中腹あたりにあります。調べてさえ行けば私でも見つけられましたよ

ここまで巡っても、まだ11時過ぎ。1時間半でこんだけ巡れたのはひとえにレンタサイクルのおかげですまだ2つの、今回のメインの史跡が2つ残ってますので、先を急ぎます次に向かったのは大イチョウ


この大イチョウは宇都宮城三の丸土塁に建っています。戊辰の戦火と宇都宮大空襲の戦火を免れた、樹齢約400年のすごい木です。全部見てきたんだなぁと思うと、すごいよね。


さて、大イチョウを見た後は、メインの1つ、宇都宮城址公園へ向かいました。


この城址公園は当時宇都宮城の本丸があった場所にあり、現在は西側部分の櫓が2つ、土塁、お堀などが復元されています。これがまた、キレイなんです


まず、公園内はだだっ広い広場になっているのですが、まぁ今は仕方ないけどポケモンGOしてる人だらけでした私もつけてはいたけど・・・たいしてレアなポケモンはいませんでしたよ


櫓へは階段からも登れますが、まずは二つの櫓のちょうど中間点にあった「宇都宮城ものしり館」に入ってみましたすると、ボランティアガイドのおじいちゃんがスタンバイしてたので、せっかくなので説明してもらいました(無料)宇都宮城の成り立ちから、現在の復元にいたるまでの説明で、とってもためになりました。(でもおじいちゃん、こちらから質問する余裕は一切あたえてくれませんでしたww)

そのものしり館の中にエレベーターがあり、櫓のある高さまで上がれます。


エレベーター上がって右側に進むと、清明台です。


宇都宮城には天守閣はなかったそうなのですが、この清明台のあった土塁は他の部分より高くなっていて、実質上、天守閣の役割をはたしていたのではないかと言われています。


8畳ほどの広さです。二階は毎月第三日曜に開放されるそうです。行くなら第三日曜がねらい目かもしれません

櫓なので、見張ったりする場所なので、こんな小窓がありました。


なんか、小さい絵みたいで可愛いよね

清明台から見下ろした図。ポケモンGO、みんなやってますね~w


清明台の反対側にある富士見櫓。富士見櫓ってのはもともと富士山を眺めるために建てられた櫓のことなので、今でも晴れていれば少しは見えるらしいですよ。


清明台と同じ広さ。模型があります。


可愛い小窓ももちろんあります。


富士見櫓から見下ろした感じ。


広場じゃないほうも。


もし、全部復元されたらすごいだろうなぁ~。公園内には戸田氏の碑もあります。


園内にはもう一つ、清明館という展示館があります。こちらも入館無料です。やはりボランティアのおじさんがいました。


展示のほとんどは発掘された縄文土器とか埴輪とかだったのですが、(これもすごかったけど)戊辰に関してもあんまり展示がなかったのだけど、展示の中に蒲生君平という人についてがありました。この人は高山彦九郎さんや林子平とともに「寛永の三奇人」と称された人で、前方後円墳の名づけ親なんだそうです。高山彦九郎さんの名に目が止まり、読んでいると・・・蒲生君平は水戸学に影響を受け、山稜志(さんりょうし)と不恤緯(ぶじゅつい)という著書を残していますが、どちらも幕末尊王論に大きな影響を与えたり、幕閣に危機意識や海防の必要性を説いたそうです。この不恤緯に関しては松下村塾からも出版していた・・・という部分に目が止まり、立ち尽くして読んでいたのですが、ボランティアガイドのおじさんに、「歴史好き」ととらえられ、説明して下さいました。(いまさら幕末しか興味なく、松下村塾に目が止まった・・とは言えず、土器や宇都宮大空襲の話も全部ちゃんと聞きましたよ

清明館を後にし、もう一度チャリで城址公園周りをぐるりとしながら眺めていたら、いつものように一瞬迷ってしまいました・・・城址公園から北へ向かうつもりが南へ爆走していました・・・。だんだん田舎になってきたのでナビつけてみたら、もろに逆方向だったので慌てて戻り、目指すはもう1つのメイン、二荒山神社

・・・とその前に、この時点で12時半。あと二荒山神社だけが残っている状態。ここは宇都宮。・・ってことで、いつもの私の史跡巡りからは抜けている昼食タイムせっかくだから、餃子有名店に並んでみよう~思って、二荒山神社からすぐ近くにある、みんみんへ行ってみるも、ものすごい行列なので、またすぐ近くにある、人気NO.2の正嗣へ行ってみましたこちらもすごい行列だったけど、とりあえず並んでみた。・・・しかし、1時間半くらい待っても、ほとんど列が動かず・・腹減り度マックスで諦めようかと思っていたら、店主さんが出てきて持ち帰りならもうちょっと早く焼けるとのこと!ということで、別の列に並びだして20分ほどで手に入れました!持ち帰りは2人前からだったので2人前420円。激安二荒山神社の入り口広場のベンチでみんな食べてたので、私も・・・


う~ん、あまり美味しそうに撮れなかった超~お腹すいてたので、2人前12個をペロリ。美味しかったよ~(でも2時間並ぶほどじゃない・・・。ラーメンにすれば良かったと思ったりも・・・

一気に食べた後は、二荒山神社へ


二荒山神社は、宇都宮城奪回すべく六道ノ辻を突破してきた新政府軍に対し、土方さんたちが布陣した場所です。明神山の山頂にあり、境内からは城下を眺めることができたため、戊辰戦争時には町民たちが高みの見物に駆け付けたそうで、城下が焼き尽くされていく様子を見ていたそうです。

この長い階段を登っていきます・・・


登り切ったらめっちゃ息切れしてた史跡巡りのために体力つけなきゃです・・で、登り切ったところに神門。


階段下の広場にはたくさんの人がいましたが、上にはそんなには人はいませんでした。


社殿は戊辰戦争時に焼失してしまったので、この社殿は明治10年に再建されたものだそうです。なんだか落ち着く空間でした。パワースポットとも言われてますからね。

狛犬さんたちも立派な体格でしたよ


境内にはお馬さんもいました。


この後社務所へ行って御朱印をいただきました社務所内にはちょっとだけ刀などの展示もありましたよ。


境内のはずれには蒲生君平顕彰碑がありました。


その横には乃木希典記念碑もありました。


さきほど登ってきた階段から城下を眺めてみました。この道をまっすぐ行くと宇都宮城址公園につながっています。当時はビルがないから、城下を一望できたのでしょうね。


階段降りてから、すぐ近くで売ってたほうじ茶ソフトを食べてみましたこれがまた、ほうじ茶のようにさっぱりしつつ、甘味もあり、めっちゃ美味しかった~


この後自転車に乗り、宇都宮駅へ。チャリを返して、帰路につきました。電車乗る前に餃子買おうか迷ったけど、子供たちはまだしばらく帰ってこないし、まだ餃子でお腹いっぱいだったので、やめておきました。その代わり、思い出したようにレモン牛乳買ってみたこれがまた絶品だった!もっと大きいの買えばよかった~


帰りは快速ラビットがなかったので、大宮まで湘南新宿ラインの快速で、そこからは上野東京ラインで東京駅経由で帰ってきて、しばらく久々に東京駅をうろついて帰ってきました。しかし、東京駅はお盆ラッシュですごい人で・・・疲れた

餃子に並ばなければ4~5時間ほどで巡れたので、宇都宮、おすすめでした城址公園で100円でゲットした冊子やパンフなど。