こんばんは、医療従事者のための心理カウンセラーの

春風ゆみです。

 

瞑想を学んで

「意識を向ける」と言う言葉を

知りました。

 

瞑想の先生は

よく「フォーカスしない」と言います。

 

自分では気づいていなかったけれど、

実は意識をそこに向けて

執着していたと、あとでわかることが

あります。

 

私が、瞑想をしていると言うと

多くの人に聞かれることが

あります。

 

それは

「瞑想をするときは無にならないといけないんですよね?」

なのです。

 

でも私のならった瞑想は

無にならなくてもいいのです。

 

無になろうとすると

「無にならないと」「無にならないと」と

そこにフォーカスするので余計に

無になることはできないのです。

 

そもそも無になることってどういうこと?

という感じの私です。

 

瞑想の先生は、

瞑想は家政婦さんがお掃除してくれるのと

同じだと、はじめに教えてくれました。

 

浮かんで来た思いや、考えを

掃除して自分の中から出してくれるのです。

 

だから何を考えてもいいし、

考えなくてもいいのです。

 

何かを考えようとしなくてもいいし、

無になろうとしなくてもいいのです。

 

何かをしようとすると

そこに意識が働きます。

 

禁煙したい人が

「タバコをやめる」と目標をあげたとき、

その人は、タバコを想像しているのです。

だから意識の中に、

タバコのイメージが強化され

かえって、タバコがやめられなくなったりします。

 

フォーカスするというのは、

そこに意識を向けることであり、

ある意味、

執着するということになるのです。

 

病気になった時も

「この病気を絶対に治すのだ」とか

「絶対に病気に勝って健康になる」と

思えば思うほど

病気が近寄ってきたりするのです。

 

病気になったのなら、

それはそれでしかたない、

なるようにしかならない

と思えるようになったとき

体が本当にリラックスでき

自分を許し受け入れるようになるのだと

思います。

 

なるようにしかならないというのは

何もしないということでは

ありません。

するべきことはして、

後はなるようにしか

ならないということです。

 

でもそう思えるようになるためには

自分と対話し、

自分を見つめる作業が必要なのです。

 

自分を見つめる作業のはじめのうちは

「こんな自分はダメだな」と

思うこともあるかもしれません。

 

でもそれも

そういう経験をしているだけ、

 

そういう経験を繰り返し

何があっても大丈夫、

なるようにしかならないと

思うようになる日が来ると

思います。

 

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