こんばんは、医療従事者のための心理カウンセラーの

春風ゆみです。

 

瞑想を学ぶ中で出会った、

ヨーガの本の中には、

心理学を学んでいく中で学んだことと

同じことが書かれている箇所があります。

 

『魂のヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』

OSHOの講話録

の中に書かれていたものです。

 

覚者のもとに行くと、

あなたはたいてい彼を冷たいと感じるだろう

―あなたは慈悲とは何かを知らず、

慈悲の温かみを知らないからだ。

あなたが知っているのは同情の温かさだけ。

 

心理学の勉強をして、

自分の囚われが少しづつ減っていくと、

「これから人に冷たいと思われることがある」

と言われたことを思い出します。

 

家族や周りの人に対して

嫌われないように○○と言おうと

思わなくなり、

ありのままのその人をとらえて、

必要なことを言ったり、

または言わないことが必要な時は

言わないという行動ができるようになるからです。

 

例えばこれまで高齢の親が心配だった人は

「○○しないと病気になるで」と

言っていたかもしれません。

でも病気になるかどうかは

本当はわからないのです。

その人がしたくてしているなら

それでもいいのだと

落ち着いて見守ることができるのです。

 

カウンセラーは、クライエントをジャッジせずに

その人のありのままを見つめます。

 

その人がかわいそうだとか

大変そうだとか思いません。

 

クライエントは、

自分で自分の心を見つめることができる

勇気ある人だからです。

 

カウンセラーは、

その人が苦しんでいる原因が

思い込みに囚われていることが

あるときは、

思い込みに囚われているんだな

と感じているだけです。

 

だから励ましたり

そのクライエントを傷つけた相手を

「ひどい人ですね」なんて言いません。

 

そして時にはクライエントにとって厳しいことも

言うかもしれません。

その人にとって、その言葉が必要であると

思ったときには

そのように言うのです。

 

その人にとっては

グサッと心に痛みを覚える言葉かもしれません。

 

また優しい言葉が必要な時は

そのような言葉をかけるかもしれません。

 

クライエントにこんなことを言うと

嫌われるかな?と感じていると

カウンセラーにはなれないのです。

 

先日、心理学のセミナーで

「○○カウンセラーは、いつもやさしい」と言っている

人がいて、私は違和感を覚えました。

 

 

「よし、よし」してもらうために

カウンセリングに行くのではありません。

 

 

自分の心を見つめて

自分と対話するために

いくのです。

 

自分1人で、自分と対話するのは

はじめは大変な作業です。

 

だから自分と対話できる場作りをしてくれる

カウンセリングを受けるのです。

 

「よし、よし」してもらうことが

必要な時期があるかもしれません。

 

けれども、

「よし、よし」では、

人は自分の心と向き合うことができないのです。

 

慈悲と言うのは、

「よしよし」するのではなく、

相手が自分で治そうとする存在であることを

信じて、その場限りの優しさではなく、

もっと大きな視点で見ることが

できることだと思います。

 

 

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