キルギスは、ビシュケクの

夕暮れ後。


とてもかわいい子猫ちゃんに

出逢いました。



街角で出逢ったその可愛い 

子猫ちゃんは、

その子を拾ったばかりの男の子に

抱っこされていました。



か、か、か、かわいい〜😍😍😍




あまりにも可愛くて😍😍😍😍😍

私は飽きずにずっとその子を

眺めたり、ナデナデしたり。



…そして、ふと道路脇に目をやると

その傍らにはもう一匹、

誰にも拾われなかった子猫ちゃんが。



近付くと、少し様子がおかしい。


目の前に置かれたエサには

口をつけず、目を閉じて力なく

ただエサの前に座っていました。



その子を触ろうとすると、

夫が背後から冷静な調子で


「触らないで。その子は病気(菌)を

持っている可能性が高いよ。」




キルギスは、野良犬や野良猫が

結構います。


もちろん、その子猫ちゃん達に

出逢った都市部では

ほとんど見ないのですが、


住宅街の方に行くと、都市部でも

稀に出会う事はあります。



男の子によって拾われた

子猫ちゃん達と別れた後、


私はしばらく、拾われなかった方の

子猫ちゃんを見つめていました。



しかしいくら時間が過ぎても

その子の側には誰も近寄らず、


その子はずっと目を閉じたまま

静かに座っています。



その後、夫に促され仕方なく

その場を離れたのですが、


更に家に着いてから言われた事に

衝撃を受けました。



「心配しなくても大丈夫。

あの猫は今日終わるよ。

暗くなったら野良犬が来て

食べられて、必ず今日中に死ぬ。

だからあの子は、今日が過ぎたら

もう大丈夫。」

(※もう辛い想いをしない、という意味)




あまりの驚きに私は

ショックで動揺しつつ、

しかし面白いことに、


心のどこかではほのかに


「なるほど、よかった。

世界はそれなりに

うまく出来ているものだ」


と感心したのを覚えています。



そして、キルギス人と日本人の

動物の飼い方や命への捉え方の

違いについて考えました。



これが日本だったらどうかな…

と考えた時、


かわいそうだからと

動物好きの人が猫に気付き、


おそらく病気・もしくは菌を

持っているかもしれないその猫を

拾って保護、そして動物病院に

連れて行く…


の様な事が最も高い確率で

起きる可能性が高そうだな、

と思いました。



もちろん、動物病院もある

日本だったら、それもアリですね。

悪くないと思います。

むしろ、良いとも言えますよね。



しかしキルギス人の考え方は、


病気等によって、もしくは

あらゆる理由で弱った個体は

自然淘汰されるのが

この世の摂理であり自然である


という考え方です。



シビアですが、何となく

この世界の法則に逆らっていないな

という感覚がありました。



そんな事を考えながら、その日

日本の友達にこの事を話したら、

彼女の経験談を教えてくれました。




ある日、道端で弱っている鳥を

見つけた。


かわいそうだと思って

動物病院に連れて行ったところ、

その鳥は野鳥であった為、

役所に届け出る事になった。



その際、役所の担当部署から

以下の様な注意を受けた。


「かわいそうだから保護したい、

という気持ちは分かりますが、

これは野鳥なので、彼等なりの

野生の中での生き方があります。


もし、弱って群れからはぐれて

しまった場合、それがその個体の

運命で、自然界ではそのような場合

自然淘汰されるのが正しい事なので、


今後は野生の生き物のこの様な

状況を見ても、みだりに保護したり

しない様にして下さい。」




彼女は、子猫ちゃんの話を聞いて

即座にこの鳥の話を思い出した、と

話してくれました。



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キルギス人の上の様な反応は

人間に対しても大枠で捉えた時に

似ているところがあり、


医療技術が日本ほど進歩していない

という事情も勿論ありますが、


それを考慮したとしても

過度な治療や延命はしません。



むしろ、病気などで親戚の

家族メンバー達が


代わりばんこにその方の所に

住んだり訪問したりして、


出来る所までは親戚一同で

精一杯手となり足となり

一生懸命お世話をし、



いよいよそれでとその方が

例えば食べたり飲んだり

出来なくなる、


など通常の形での生命維持が

出来なくなったら、静かに

共に死を待つ


という事を自然にやっている。



過度に悲しみすぎたり、

無理やり何とか、生かそうと

したりはしません。



そして、それがたとえ大好きな

祖父母の様な人たちで

あったとしても、


もう十分生きたと思うから、

その時がやってきたのだと思う



と、現状を静かに受け入れます。



私はこれって、初めは少し

冷淡と言うか淡白な反応に

見えていたのですが、


最近はそのすごさと彼等の

覚悟する気持ちに対して

大きな敬意を持つ様に

なりました。



人間も、もちろん動物の一員。



彼等が、生物としての感覚を

鈍らせずに生きていけているのは

もしかしたら


この様な感覚を大切にし、

いたずらに悲しんだり

無理に人間の力で何とか

しようとしたりしない


というところにあるのかも

しれません。



かわいい子猫ちゃんの

残酷だけれども理に適った

キルギス人の考え方から、

また考察の機会をもらいました。



そして思いました。

この国に関わる様になってから

人生観変わった❗と感じるのは、


こういうファクターも

多分にあるのだなと👀



私も、なるべく頭でっかちにならず

生物的感覚を失わずにいたいな。


と考えさせてくれた、

子猫ちゃんとの出逢いでした。