ままならない状況がある中で、
何とかしようとすればする程
沼にハマってしまう。


この沼から出る方法がわかったのだ。

それは状況を変えようとするんじゃなくて、その状況に対する私の在り方を変えればいいんだ、と。



それは、隣人なんだけど、、、
室外機のクレームの件で。

エアコンは何の問題もなく作動してたわけ。
でも買い替えた。
それで買い替えたことも伝えた。

にも関わらず、
夜中と早朝にベランダに出てくる。
窓を開けるガラガラって音で目が覚める。

ついてるかどうか確かめてるのか、
何をしているのかは不明なんだけど、
5時半とかに何度かガラガラですわ。

元々隣は深夜に洗濯する人なんだけど、
洗濯の音自体は気にならないけど
なんて自分勝手なんだろうって
そこに対してむかつきもするわけ。

それが輪をかけて、
何度もベランダに出てくるから
私が音に対して神経質に張り詰めてしまっている。

ガラガラって響く度、目が覚めて
大袈裟じゃなくて心臓が裏返りそうになる。
攻撃されたって思うから。


何とかやめさせる方法はないか?って
考えてた。

それで管理会社に状況を説明したら、
親切に話を聞いてくれて、

いまいちど管理会社からも
新しいエアコンに替えて対応はしているということを伝えて、どうしても集合住宅なので音はするものです。
って伝えましょうかって。

それとも、深夜の洗濯や窓開けについて注意もしましょうか?と。

うーん。
反応するとエスカレートする気はしていて、
もしかしたら裏目に出る場合もあるなって
逡巡してたら

個人的にめちゃくちゃいい助言をくれた。

何と言われたというと、

気にしないのがいちばん。って
なぜなら文句言われる筋合いが全くない対応をちゃんとしてるから。って。

そうなんだよなって思った。
正々堂々とふんぞり返ってていいはずなのに
それでも何か自分が悪いような気がして
自信がなかった自分が潜んでいたわけ。
そういう思考のパターンが身についてた。

正直、悪くないって言ってもらって安心したのだ。

私の心は、そういう補助輪とか松葉杖を
今はちょっと必要としているのだ。


直接何か言われたらすぐ連絡して下さい。
もし連絡が繋がらず暴言などがあったら
警察を呼んで大丈夫です。

それを踏まえて、
現状はいくらガラガラされようが
無視が最善だと思います。って。

それでここのところ、
心が乱れないようにすごく注意力は必要だけど、
反応はしてない。

エアコンをつけないで我慢してしまうって事も
極力減らしていっている。

ガラガラされるのを回避しないで、
ガラガラされようが平気でいられる
心になれるようにすっごく工夫してる。


ノイズキャンセリングサウンドで
音で音を殺すとかもしちゃうけど。


とにかく少しずつ少しずつ
状況にかかわらず
心の平穏を保てるように心がけていて、
それができてきている。

隣人と玄関先で鉢合わせても、
以前は理解してもらえるよう説明したけど、
(面と向かうとすごく感じはよかった)
が、今は一切関わりたくないからスルーしている。
後ろ歩いてた側ならタイミングずらせるのにね。
迎合しない私でいられた。


そしたら平穏。

 



・・・

私はですねぇ〜、
人から攻められてるとなると
めちゃくちゃ攻撃的になるところがある。

後遺症だと思うけど、
怖いから物凄く攻撃的になっちゃう。
私を傷付けるのをやめさせねばってなる。
死に物狂いwww



まぁ絶対ないと思うけど、
もしかしたらタバコ吸ってるのかも知れないし、
外の空気でエラ呼吸しないと死んじゃうタイプなのかも知れないし、私と関係ないかも知れない。

でも、
自分のせいかも知れないって感じちゃう癖がある。


例えば日常でも、
仕事先でとても親切に接してくれる人がいたとして、
お茶を出してくれるとすると、
次もお茶を出してもらえるように頑張らなくてはいけない。って思ってしまう。

最初何の気も遣ってなかったのに
親切にしてもらったりご厚意を示されると
失望させないように自分を良く見せないといけないってなってしまって、不自然になってすごく疲れてしまう。

人間関係が負担なのだ。
距離感も縮まらない。
それはそうだ。
縮まったらボロが出ると思うし、
ボロを隠す為にすごい努力をして
ストレスになるのが分かってるから。

縮まったら困るのだ。


別に全然好きじゃない人に対してもこうなわけだから、好きな人に対して自然でいようなんて難易度が高すぎる要求を自分に課してる訳である。

そりゃ無理よ。

本質的には同じ悩みだなと思った。


だからガラガラされる度に、
それでも気にせずくつろげる自分になる為の
トレーニングをしてるんだって思うようになったのだ。

実際その通りだし。
そう考えるとありがたい。

安全な室内で、
人間関係の根本的弱点に取り組めるわけだから。


ーー「人間における唯一の義務は、
    自分自身であること」ーー


そうだなって思う。


でも無理はしないのだ。
一足飛びに「私らしく」なんてのは
やっぱり無理だ。
そうできたらいいんだけど。

理想とは違うけど
そんな自分と歩調を合わせる。


大前提として、人が好きなんだと思う。 

本当にどうでもいい人に対しても
どうでもいいって思えないのは、
他人のことも本心では
それだけ大事に思ってるんだと思う。
一瞥で切り捨てないで、理解しようとするもん。

愛をたくさん持ってるってことなんだ。

その愛が大きいほど
不快感も大きくなる。
絶望してしまう。

失望されるのが怖くて
よく見せようとしてしまう。

勝手に期待されただけだって
幻滅されたり失望されるのは
傷つくよ。

だから、その在り方をしていたら、
自分を幸せにできない。


幻滅されようが失望されようが
嫌われようが文句を言われようが
期待されようが愛されようが
好かれようが耳に甘い言葉を言われようが

真に受けないのだ。
それは人の意見であって私とは関係ない。


要するにエアコンの件で一番学んだのは、
他人はコントロールできないってこと。
その行動さえやめてくれれば…って願っても無駄だってこと。

例えやめさせたとしても
いくらでもそんな事は起こり得る。

その度に自分ではどうしようもできないことに
一喜一憂して無力感を感じる羽目になる。

恋愛もそうだ。

状況や相手がどうあれ、自分が気分良くいられる考えを賢く選べるようになれば、安らぎを依存しなくて済む。

これが本当の幸せだ。
何も変える必要ない。

必要なのは、自分の考え方を変えること。
これならいつでもできちゃうんだよね。

人がどうであっても
私は幸せを保てる。
そしてそれが人の幸せを妨げないことでもある。
それが愛よな〜。


このようにメンタルを鍛えよう。
今その最中で試行錯誤してて、
踏み外しては戻ってくる。


なんだかんだ成長の歓びってのがある。
幸せでいるのに、特定の誰かや何かを必要としなくなった時、わたしは沼を脱出する。



その時には、涙流してお腹抱えて大爆笑だ。


ちなみに、ドアノブを10分くらいガチャガチャやってから陽気に
「レッツ・ゴー!!」って言ってお出掛けする人がいて、マジでうるさいんだけど、病気だって知ってるから皆んなスルーしてる。
何ならそのガチャガチャのお陰でその人がいるのが分かって避けられるから私からすればありがたいんだけど、その人に対する注意の張り紙がでていた。

注意したのは、
お隣さんなのでは?って思ってしまう。
矛先がそっちにいってれば助かっちゃう。
もはやずっとやってて欲しい。w