地元の商店街で父に会った。
真ん中ら辺の閉店したお店の前に立って
人の流れを見ていた。

さては、私が通らないか
待っててくれたな!って思ったのだ。

聞いたら4時に家を出て歩いて来たと言っていた。
その時は6時ちょっと過ぎ。

1時間くらい立ってたのかなぁと思った。

ご飯を食べに行ったが
何だか元気なさそうである。

パーキンソン病ながら
独りで暮らしてて
何度か出先で転倒して救急車で運ばれたりしたが
杖をついて歩いている。

以前、姉が
父のシャツを掴んで転ばないようにしてたんだが、
何か嫌だった。
もっと違う持ち方ある。

両親の調停の時とか引っ越しの時とか
介護の話とかで
折にふれて、
お父さんには分からないからみたいに
ボケた力ない年寄り扱いする。


私はそれがイヤだった。
でも姉とはもう会うこともないだろう。

父は父であり、
威厳がある。

私からしたら父は頼れる存在である。

ご飯食べた帰りも父は私に言うのだ。
「気を付けて帰れよ」と。
 
あとそうだ、
昨日で引っ越して10年目だった。
誕生日より感慨深かった。
10年前の2月14日に
実家から近所のワンルームに引っ越した。

父と姉に出ていけと言われたから。
姪が就学して人手がいらなくなったからだと思う。
それまでお世話してたから。
出ていく所なんてなくてお金もなくて泣いてたら
母が仕打ちに怒ってこの家を買ってくれた。

その時は父と姉のことを恨んだ。

引っ越しのトラックが来て
次々に荷物をトラックに運び込んだ。

父がおろおろして引っ越し業者に
どこに行くのか聞いていた。
引っ越し業者は答えられませんって言った。

あの時、大粒の牡丹雪が降っていた。

10年経った。




弱いロボットっていうのがあるらしい。
わざと弱く作られたロボットで、
幼稚園とか老人ホームにそのロボットを連れていくと
すごく人気なのだそうだ。

お年寄りはそのロボットを助けてあげたくて
「こっちだよ〜大丈夫だよ〜」って
手を引いて歩きたくて順番待ちができる程らしい。

私は弱いロボットでもある。
弱いロボットは人の強さを引き出す。
人の愛も引き出すのだ。

いうならば、赤ちゃんもそうです。
赤ちゃんは性善説のもと生まれる。
そして無条件で命を預ける(しかない)

信じてんだ、愛を。
そうやって生まれてきたんだ。
命を委ねるしかない。

万物の霊長なのに、
離乳と歩くまでの期間が異様に長いのが人間。
一見、進化の階梯に反しているように思えるが、
これぞ形而上学的、意図だと。
スピノザの神の意図!
(アインシュタインが信じた神ね)

感銘を受けるもん、
赤ちゃんの精神性に。
命を賭して教えてるんだよ。
愛とは?
忍耐とは?
歓びとは?
生きるとは?
何が大事なんだい?って。



はい、話戻ります。

しかしですよ!
しかしです。
私は赤ちゃんではないのです。
え〜〜せめて
ずっとトイザらスキッズに留めておいて欲しかった。

残念ながらスクスクと育っちゃった歩く


私とて弱いロボットだけではなく
現実的に頼られる存在にもなりたいのだ。

いざ!って時には
まとめて頼ってこいやぁ〜って言えるくらい
自力で財力だって持ちたい。
そしたら人のこと助けられるから。

なのに全然そうなれない自分がいて
そこはすごく不甲斐なく思っているところなのだ。
自分がそうなれてないギャップが。
涙出る。
そういうとこもいい!!
愛す!!!


本当は
強いロボットにも変身できる力を備えたいのだ。

しかしポンコツだから無理そうである。
目標はやっぱりやめる。
苦しいだけだから。
(もっと気楽にやる。
ダメでもまぁいいよ)

助けてもらってばっかりだ。
(それもそれでよし)


父にも母にも
母にも父にも
感謝している。感謝と尊敬だ。





さて、話は変わって
昨日のモテ自慢の続きだ。
(自慢だったんですよ、自慢)笑!!





仮にその時が来たら、

虎屋の羊羹レベルの練に練った恋愛が

出てきそう。すっごく嬉しいけど。


今はエビせんべいの気分なんだよ。

カラっと軽く揚がったやつね。



欲しいのはカタチじゃなくて感情なんだ。

キュンしたり

トゥンクしたり

エモさをね。



苦しみや悩みはいらんけども。

まぁまとわりついてくるでしょう、

この辺の感情も。

全部引き受けます。

私、大丈夫です。


どんな感情になっても

決して潰れません。

へこたれません。

絶望しても大丈夫です。

自分のこと恥じて悶絶しても大丈夫です。

決して自分を蔑みません。

絶対自分を見捨てません。


後悔しても失敗しても結果が出なくても、

何にもならなくても、

歓びはより大きく輝くでしょう。


なぜなら自分のこと誰よりも

力強く愛しちゃってるから。



人と人とが近付けば

コントラストが生じるのは当たり前。

生命の火花が散る。


トキメキや喜びも。

性の歓びってやつや。

違うか、、、いや、違くない。



肉薄した付き合いから逃げていたら

手に入らない感情がある。


ここまでが安心、

心乱れない距離感。

ってやってたら孤独なまま。 


自分のことも、

その距離感でしか愛せないことだと思う。

意識が拡大しないのよ。



回避性愛着障害っぽくも聞こえるが、

感情のコンフォートゾーンから出てみたい。


私が安心だと思っていたゾーンは

既知の枠内の感情しか扱わないゾーンだった。

それでは生きながらに死んでいる。




進撃せよ、

セクシーゾーンへ!!w