こんばんは
51歳でも諦めない
美と健康をめざす
ダイエットサポーター
ゆみちゃんです
今日は私のことを
書いてみよう。。。
って思ってます
私の人生51年。
25歳で結婚、
2人の子供に恵まれて
28歳の時にマイホームを持ち
とっても幸せな日々でした
5年後
私の母に大腸がんが見つかり
すでに腹膜への播種転移していて
1年の闘病を経て他界
母が他界して3週間後
夫を事故で亡くし
深い悲しみ、絶望感
当時、
小学2年生の息子と年長の娘
これから私ひとりで育てていけるのかな
とてもとても大きな不安
そんな中
看護師という仕事は
我が家の経済を支え
安定と安心を与えてくれました
その反面
仕事柄、自分の感情を抑えて
そして出来事は無かったかのように
振る舞い
また容赦なく任務は課せられました
1年後、35歳の時に
左乳がんの診断、
幸いリンパへの転移は無し
腫瘍は2.2cm
当時の治療法では
年齢が若いということもあり
全摘、抗がん剤治療、ホルモン治療
行いました
告知を受けた帰りの電車で
思い出しては涙が出ました
自分のことでいっぱいいっぱい
なのに
その日は夜勤入り
夜勤はとても忙しく
告知のことを一瞬
忘れさせてくれました
でもふと思い出しては
また涙
でもいつまでも泣いていられません
お母さんが泣いてると
子供が不安になるから
「子供達の前では泣いたらいけない」
「だって母親だもん、強くなくちゃ」
当時の私はそんな風に思っていました
「お母さんって、こうあるべき」
この「〜べき」で
自分をさらに苦しめていました
ある時
抗がん剤治療で
髪の毛がほとんどなくなり
残りわずか2〜3本だったかな
すっかり変わり果てた
自分の姿を鏡で見て
落ち込んでいる私の背後から
子供達がゲラゲラ笑います
人が悲しんでる時に
笑うなんて!!
私は叱ろうと思って振り返りました
でもあまりにも子供達が笑うので
いつのまにか叱るのも忘れて
一緒に笑ってました
子供達にとっては
一休さんのように頭がツルツル
というのがウケたのか?
それとも
悲しんでる私に
笑って欲しかったのか…
まあ、どっちでもいいのですが
それを機に
なんだか気持ちが変わったというか
なんか私の中の
『髪が無い=悲しい』
が崩れていき
髪がなくても
姿が変わっても
私は私
子供達のお母さんであることは
変わらない
髪がなくても笑える自分を
子供達のおかげで
発見できた瞬間でした
それから
自分の中で当たり前のことが
当たり前じゃない
とか
お母さんだって
悲しんだり泣いたりしても
いいよねと思えるようになったし
そして
がんという病気なって
「死」を意識したことで
残された人生を大切に生きよう
もちろん、おかあさんとしても頑張るけど
やっぱり自分の人生だから
もっと自分の気持ちを大事にして
いつかこの世を去る時が来ても
決して後悔しないように
自分に正直に生きよう
そんなふうに思えるようになりました
乳がんになった当初は
何で私ばかり次々と
こんなツラい思いをしなきゃいけないのか
神様ってホント意地悪、不公平だ
って思ってたんです
でも悪いことばかりじゃなくて
仕事に追われ忙しい日々だったのが
病気でしばらく仕事を休むことになり
子供達と過ごす時間が持てるようになったり
臆病で、
やる前から自分には無理って
何もできなかった性格だったのに
人生一度きりだからと
自分のやりたいことに挑戦する
『勇気』をもらえた
46歳の2度目の乳がんになるまで
約10年間
片方しか胸はなかったけど
ダイビングにも挑戦した
がんという病気になっていなければ
今も臆病な私のままだったと思う
私の体験が誰かの心を勇気づけられる
きっかけとなれればいいな
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました
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