※この投稿は、当時リアルタイムで投稿出来なかった事を後から振り返って書いた文章になります。
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■2020年7月30日(木)
1時間くらい眠って目が覚めた。
時刻は5時半だった。6時過ぎに助産師さんが朝の回診に来るかと思ったけど来なかった。
もう流産してしまった患者はどうでも良いのかな、と思ってしまった。
朝食時間の7時半少し前に、薬剤師さんが母乳を止めるホルモン剤カベルゴリン1回分とこれから4日間服用する、抗生剤、子宮を収縮させるパルタンM錠、胃腸薬を持ってきた。
その前後だったかな、助産師さんも来て、血圧と体温を測り、子宮の戻りを確認して居なくなった。
食欲は無かったけど、朝ご飯を食べた。豆パンだった。
もう頑張って食べても、この栄養はたっちゃんには届くことはないと思うと虚しくて悲しくて涙が出た。昨日まで、赤ちゃんにカルシウムを・・・
と思って飲むようにしていた牛乳も残した。
8時過ぎに、担当医がやって来て「昨日来れなくてごめんね~」と謝られた。
「まぁ、残念だけど、そういうことだから・・・」と、何がそういうことだよ、と思った。やっぱりここの先生好きじゃないかも。
午後に内診して、大丈夫そうなら明日にでも退院・・・と言われたけど、一刻も早く家に帰って落ち着きたいという気持ちがあり、今日の退院は無理なのか聞いてみた。
「まぁ、内診で見てからの判断だね」と言われた。
点滴もなく、やることも無いので星野源の曲を聴きながら、ベッドでぼんやりして過ごした。
たっちゃんはどうしてるかな・・・そればかり考えていた。
星野源のFamilysong “ただ、幸せが1日でも多く側にありますように。悲しみは次のあなたへの橋になりますように”という歌詞に涙した。
私が悲しむことで、たっちゃんが次の橋を渡って帰ってきてくれるなら・・・
たっちゃんを想って思いっきり泣こうと思った。
夫は午前中のうちに、恵庭市役所に死産届を提出し、火葬許可と火葬予約をしてくれていた。たっちゃんを連れて帰る為の、保冷バッグとレターセットも買ってくるようお願いしていた。
ここからは私は知らなかったけれど、市役所でほぼ17週なら恐らく骨が残るので何か入れ物を用意した方がいいとアドバイスをされたらしく、夫はその脚で仏具屋に直行、小さな骨壺を下見に行ってくれていた。
外はギラギラ太陽で暑そうだった。
たっちゃんは、出産予定日が1月7日だった。冬生まれのはずだったのに、夏に生まれたかったのかな?だからこんなに早く出てきちゃったのかな?とぼんやりと考えていた。
夫から、火葬予約を8月1日の14時からで予約したと連絡が入った。
今日の明日だとせわしないし、8月1日なら今のところ午前中に1件しか予約が入っておらず、午後からならゆっくりお別れが出来ると言われたらしい。
火葬が明後日の午後なら、今日退院すると丸2日、この暑い中で家でたっちゃんを置いておかなければならない。
たっちゃんを早く冷蔵庫から出してあげたい、一緒に居たいという気持ちはあったけど溶けてしまうのは可哀想だ。
まさか家の冷蔵庫に入れるわけにもいかない・・・それならば、今日は安心な病院で預かっていてもらおう。と、明日の退院を決めた。
15時頃 内診で呼ばれた。
診察室は病棟の反対側にあり、今までは車椅子で連れて行ってもらっていたが、久しぶりに長い距離を自力で歩いた。
内診結果は問題なく、子宮も綺麗になっているので今日退院しても良いと言われたが明日まで居させてもらえるようお願いした。
1週間後の8/6(木)に経過を見せにくるよう、予約を取られた。
日曜からずっとシャワーに入れていなかったけど、今日も診察のタイミングが分からずシャワーのチャンスを逃してしまった。
でも、外に出てお腹の大きな妊婦さんや、生まれたての赤ちゃんを見聞きするのが怖かったから、出たくない気持ちもあった。
たっちゃんがお腹に居たときは、感染予防の為に身体を綺麗にしようと思っていたけれど、たっちゃんが居なくなってしまった今、自分が臭かろうがが汚かろうがどうでも良い気持ちでもあった。
あちこち湿疹が出て痒かったので、夫に身体を拭いてもらった。
出産前に着替えた血の付いたままの病衣だったので、ズボンタイプの病衣の着替えをもらった。
夫が病室に居る間は、たっちゃんの事は意図的に考えないようにしていた気がする。泣いてしまうから・・・
昨日、分娩に立ち会ってくれた助産師さんがこの日の準夜勤担当だった。(名前を覚えておけば良かった・・・)
その助産師さんが回診の時に急に打ち明けてくれた。
実は、自分には同じように死産した妹が居るのだと。
ある程度大きくなった時に出来た年の離れた妹で、母親のお腹で妹が死んでしまったということが認識できていた。
母親がいつも、仏壇に手を合わせるときは、妹のこと想うように言っていたから生まれてくることが出来なかった妹のことを今でも忘れたことが無いという。
だから、今回授かった赤ちゃんの事は、絶対に忘れないでほしいし、もしも今後弟か妹を授かったら、お兄ちゃんが居ることを教えてあげてほしい。と言われた。
そこまでは言っていなかったけれど、もし、妹さんの事があって助産師の道を目指したならば
何て素晴らしい事なのだろうと思った。
死産してしまったことは悲しいことだけれど、隠す必要は無いのだと思った。
たっちゃんが、16週と6日 短い期間だったけれど私のお腹にきてくれたことには意味があり、たっちゃんからのメッセージをしっかり受け取って、弟や妹に伝えていきたいと思った。
たっちゃんが着ているお洋服と同じ生地で作くられた、うさちゃんの水色のくるみボタンを、持ち込んでいた犬のぬいぐるみの首輪に括り付けた。
たっちゃんが元気に生まれたら、たっちゃんにあげようと思っていた犬のぬいぐるみ。
火葬の時に棺に入れてあげる事も考えたけれど、たっちゃんの身代わりとして大切に持っていることにした。
犬のぬいぐるみをなでながら、たっちゃんの事を想った。
冷蔵庫なのか冷凍庫なのか分からないけれど、きっと寒いところで淋しい思いをしている我が子。
寒いよね、ごめんね。
離れていてもお母さんはあなたのことを想っているよ。
心は側に居るからね。
そう想いながら眠りについた。