※この投稿は、当時リアルタイムで書けなかった事を後から振り返って書いた文章になります



■2020年7月31日 夜


帰宅してシャワーを浴び、お昼ごはんを食べるとどっと疲れて2人してソファでウトウトしてしまっていた。


夕陽が寝室から差し込み、気持ちいい風がそよそよと窓から入ってきていた。


ふと思いつき、タブレット端末で夫婦でよく聞く好きな曲を流してたっちゃんに聞かせようと思った。


夫が好きな曲が流れた時、窓からの風が強くなり、お線香の香りがたっちゃんと私を包み込んだ。


たっちゃんもお父さんと同じ曲が好きなんだね☺️

そう思った。


棺の中に入れるお花を買いに出掛ける事にした。

たっちゃんを1人で置いていくのは可哀想なので、再び病院から帰ってきた時の保冷バッグの中に保冷剤を入れて連れて行く事にした。


3人でドライブだ!


お花屋さんで、夏らしくひまわりの入ったアレンジと、珍しい青紫のカーネーション『ムーンダスト』を2本買った。


ムーンダストは世界で唯一の青いカーネーションで、全てを包み込む光が名前の由来、花言葉は『永遠の幸福』とPOPに書いてあった。


なかなかのお値段だったけど、夫がお小遣いで買ってくれた。嬉しいね、たっちゃん。



お骨が残るかも、という事で小瓶と折り紙も買って帰った。


地元のケーキ屋さんでケーキも3つ買った。

流産した日は命日だけど、産まれた日でもある。

2日遅れの誕生会だ。


家に帰る前に、保冷剤を貸してくれている葬儀場に寄って、真夏日の中、半日ですっかり溶けかけてしまった保冷剤を新しい保冷剤に交換してもらった。



夫に保冷剤の交換をお願いしている間、私はたっちゃんと2人で車で待っていた。


窓から見えた月は、ちょうど半分の形だったけれど青白く光って綺麗だったのでたっちゃんにも見せようと思った。


思えば退院する時も、ずっと箱の中で


たっちゃんにとっては産まれてから、初めて浴びる外の空気。


車の窓を開け、箱の蓋を取ってたっちゃんに月を見せた。


たっちゃん、お月様だよ。今日は半分のお月様だね☺️と話しかけた。


日中は真夏日でも、日が暮れれば涼しい風が吹く北海道の空気をたっちゃんに感じさせてあげることが出来た。


コンビニでお弁当を買って帰宅。


買ってきたお花を飾ってケーキにろうそくを立てて…たっちゃんスペースが賑やかになった。


お弁当を食べ、ケーキを食べ、夫と2人で棺に入れる為の折り紙を折った。


折り紙は、これに乗っていつでも帰ってきてねという意味を込めての鶴と


お空でじいじと遊んでねという意味を込めて手裏剣と兜を折った。


鶴は、たっちゃんが本当は生きて、大きくなって、私達の手を離れるはずだった22年分の22羽の鶴を折った。


1歳、歩けるようになってるのかな。

2歳、おしゃべり出来るようになってるのかな。

6歳、小学校入学だね、何色のランドセル背負ってるのかな?

15歳、高校生か。部活入ってるのかな?

18歳、彼女は出来たかな?

22歳、社会人だね。しっかり社会に揉まれておいで!


…と、たっちゃんが生きるはずだった未来に思いを馳せながら…



手を動かして居ると気は紛れる。

手を止めると涙が溢れ出てしまうから、無心で鶴を折った。



この夜は寝室のベッドではなく、居間のたっちゃんスペースの横に布団をひいて川の字で寝る事にした。


寝る前に、夫と棺に入れる手紙を書く事にしたけれど書きたいことが多すぎてまとまらず、私はすぐに書けなかった。


夫は真剣な顔をして、じっくり考えながら手紙を書き上げた。



眠れそうもなかったけれど、とりあえず布団に横になると涙が止まらなくなった。




たっちゃん、お母さんはあなたに何もしてあげられなかった。


いっぱい抱きしめてあげたかった。


ミルクをあげたかった。


たっちゃんはどんな声で泣いたんだろう。声が聞きたかったな。


一緒に手を繋いで歩きたかった。


ちゃんと元気に産んであげられなくて本当にごめんね。


たっちゃんは何も悪くないのに

心臓を動かして出て来てくれたのに

お母さんはたっちゃんを守れなかった。

不甲斐ないお母さんで、本当にごめんね…



一晩中泣き続けた。

身体中の水分が全部出たんじゃないかと思うほど、一生分泣いたと思う。



朝方になり、泣きながらスマホのメモに入力して文章をまとめた手紙の内容を、便箋に書き写した。



お空で自分の名前がちゃんと言えるように

帰ってくる時に迷わないように

封筒には家族の苗字と名前を漢字で書いて


産後すぐに3人で撮った写真を、手紙と一緒に封筒に入れて封をした。