※この投稿は、当時リアルタイムで投稿できなかった事を後から振り返った文章になっています

2020年7月29日 

朝になった。

9時 先生が病室にきて、張り止めの点滴をすると言って出て行った。
 
10時 リトドリン塩酸塩の点滴が始まった。
24時間点滴なので、仰々しいポンプの機械が登場しトイレへの移動が少し面倒になった。

いつもの出血止めの点滴も一緒。
24時間点滴ということは、今日もシャワー無しかぁ・・・まぁ、痛くてそれどころじゃ無いけど。と思った。
 
点滴をしながら、お昼ご飯の時間までウトウトした。

お昼ご飯が運ばれてきた頃、お腹の張りと痛みがほぼ無くなっていた。
張り止めの点滴すごい!!
 
でも、効果の代わりに副作用もなかなかだった。
元々、ズファジランの服用でも動悸がひどかったのに、その1ランクアップしたリトドリンを点滴されて副作用が出ないはずが無い。
 
箸を持つ手が震えて、お昼ご飯を食べるのに30分もかかってしまった。

でも、お腹の痛みは無いから震える手で、ササッと箸を洗い、歯磨きを済ませ、横になることにした。
 
午後からは、タブレットでMIU404の見逃し配信を見た。

左向きよりも右向きの方が痛みが少ないから右向きで横になった。

MIU404を見ている間、左下腹部にまた若干の違和感があった。

気にしないように、気にしないように・・・MIUに集中した。

ずっと右向きで居ると肩が痛い・・・見終えた後は、左向きになってみた。

痛みが出てきた・・・
右を向いたり、左を向いたりして ウトウトしていたけれど、17時過ぎまた少し痛くなってきてしまった。

それよりも、手が震えてスマホの操作がうまくできなくなってきていた。

夫からLINEがきた1715分頃は、まだ「多少痛いけど昨日の夜ほどじゃ無い」と返事をしていたけれど、夕飯が運ばれてくる18時が近くなると、また左下腹部の定期的な張りと痛みが戻ってきた。ひたすらスマホの時計を見つめていた。間隔は7分おきだった。
 

赤ちゃん、赤ちゃん、お願い、落ち着いて!
必死にお腹を押さえた。冷や汗が出た。
 
 
19時には張りと痛みは5分間隔になっていた。
痛みの場所も、左下腹部だけだったのが、左下腹部とおへその下の中心部の2カ所になっていた。
 

母から長文のメールが来ていたが、手が震えてスマホの操作ができなくなっていたので電話をした。
 
新琴似の叔父叔母が小樽に用事があってきていたので、実家に寄り私の事を話したと言っていた。
電話の間にも痛みは定期的に襲ってきていた。
 
母との電話を終え、夫とZoomをする約束をしている20時まで少しでも休んで痛みを和らげようと思ったが、痛みは増すばかり。
 

お腹の中の空気が、ぶるんっとはじける感覚があって破水の二文字が頭をよぎって冷や汗がぶわっと出てきた。

5秒くらい思わず息を止めて身を固くしたけれど、何も出てくる感触は無かった。
ガスがたまっていたのだろうか・・・
 
気がついたら20時を過ぎてしまっていた。正直Zoomをする余裕は無かったが、夫と話せば赤ちゃんも落ち着くかもしれないと思い、夫のアカウントに発信した。
 
でも、本当のところは・・・
この痛みは陣痛だと自分では分かっていた。
夫 ごめん、赤ちゃんもうすぐ出ちゃうかもしれない・・・と伝えるつもりだった。

赤ちゃんと夫はこれが最後になってしまうかもしれないと思い、Zoomを発信した。
 
この頃は、3分間隔になっていてもう耐えられないほど痛かった。

結局、伝えようと思ったことも伝えられずに
20時から21時まで「痛い痛い」と苦しむ姿を、見せつけるだけの時間になってしまった。
 

その間、夫はZoomをしながら、私の状況について調べた事を教えてくれた。

お腹の張り、痛み、陣痛について・・・調べてくれるのは嬉しいけれど、もう痛みの話はいいから他の話を聞きたいと言った。

夫に、何でも無い普通の話をしてもらった。この日に職場で起きた事を話してもらったんだったかな・・・
 
痛みを紛らわせるために、テレビをつけるように夫がしつこく言うのでテレビを付けるのも痛くてままならなかったけど、テレビを付けた。
 

タイミングが悪いことに、ママさんタレントが陣痛について話していた。

陣痛は痛いけれど、その先には可愛い我が子との対面があるから頑張れる!みたいなことを話していた。

辻ちゃんだったかな。藤本美貴だったかな・・・・

産声の聞こえない出産もあることを、この人達は知るよしも無いのだ。

痛みに耐えて、我が子を産んでも、その先に我が子との未来は無い。

私の場合、赤ちゃんはまだ生きているのに、産むことで生きている我が子の命を絶ってしまう。

それがどんなに辛いことかも、普通に産めた人には分からない。

内容も内容だし、テレビの雑音でかえって落ち着かないのですぐにイヤホンを外した。

21時過ぎ、助産師さんが病室にきたので痛みを訴えた。

「様子見るしかないもんね~。もっと痛くなったら分娩室に移動になるからね。」と言われた。
 
『分娩室』という単語に心がざわざわした。
 
赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん・・・手のひら大にパンパンに膨らんだ下腹部に想いを込めた。

膨らみは、左下腹部から、すっかりへそ下中央に寄っていた。赤ちゃんがここに居る、出てこようとしているとハッキリと分かった。