■2020年8月6日


後期流産後  1週間が経過したので経過を診てもらう為に病院に行った。



待合室には、妊婦さんがたくさん居た。


大きなお腹を大事そうに抱えて座っている妊婦さんが目に入ってきて、思わず目をそらしてしまった。


帽子を目深に被り治して、待合室の1番端っこのベンチに腰を掛けた。


下を向いて床を見つめて座っていると
マタニティマークが視界を通過した。


1週間前までは、私のお腹の中にもたっちゃんが居たのになぁ


2週間前までは、私のカバンにもマタニティマークが付いていたのになぁ


妊婦さんに囲まれて、空っぽのお腹の私は
ただただ羨ましくて虚しかった。
帽子の下を、マスクの中を涙が流れた。


私は、お腹が大きくなりたいんじゃない
マタニティマークが付けたいんじゃない
たっちゃんに会いたい
たっちゃんに戻って来てほしい
たっちゃんを抱きしめたい


ただ、それだけ。


内診の結果は、子宮の戻りも問題なく
キレイになっていたようで、もう来なくていいと言われた


エコー画面に写った私の子宮は
当たり前だけど空っぽで、また涙が出た。


心臓がトクトク動いていた、たっちゃんの影はもう見えない。


小さな手をにぎにぎしていた、たっちゃんの影はもう見えない。


空っぽ、空っぽだよ。


「これでもうおしまいです」と先生は言った。
たっちゃんの人生を勝手に終わらされたように思えてカチンとした。


次の妊娠は、生理が1回きてからで、
排卵やタイミングの相談に乗ってもらえるのか聞いてみたけど、あまり良い反応では無かった。


そうだよね、ほかに診るべき妊婦さんがたくさん居るもんね。


ここにはもう来ない、と思った。


病棟の助産師さん達はみんな良い人ばかりだったけど、この病院にお世話になる事はもう無い、と思った。


そもそも、たっちゃんはまだ生きているのに
人工中絶を勧めてきたような先生だった。


障害が残ってまでも生かすことが赤ちゃんの幸せなのか、あの当時は悩んだけれど


今なら、障害が残ろうが親が苦労しようが、絶対にたっちゃんを生かす道を選ぶ。


結果として、たっちゃんはその決断をする前の段階で空に返ってしまったけれど。


あの時悩んでいた自分をぶん殴りたい。


羨ましさと
虚しさと
後悔と
悔しさと
そして、たっちゃんに会いたい気持ちがあふれて
泣きじゃくりながら病院を後にした。


お母さんが泣くことを、たっちゃんが望んでいないことは分かってる。


でも、お母さんはたっちゃんを想うと胸がいっぱいになるんだ。


ずっと一緒に居たたっちゃんと引き離されて
淋しくて淋しくてたまらないんだよ。


会いたいよ、たっちゃん。