ライティング講座に通い始めた。
受講に加え、毎週、2000文字の課題提出がある。

書くことは楽しい。
ただ、課題提出に夢中になると、noteが少しだけ疎かになる。
さらに作詞が疎かにならないか、一抹の不安がある。

プロのライターではないので、どんなネタでもすいすいと書けるわけではない。
今の私にとっては、2000字はなかなかのボリュームで、時間もかかる。納得がいかないと、何度でも見直してしまう。
さらに、ネタも与えられるものではなく、自由。ネタは自分の内側から絞り出すことになる。

内側から絞り出す―

それって、作詞やnoteとかぶらない?

そう、かぶります。

だから少し不安だ。

どんな形であれ、アウトプットが続くと

「ネタ切れにならないかな」
「内側がカスカスに枯れてしまわないかな」

とか、

「アウトプットが文章を書くことに向かい、歌詞づくりが遠ざかってしまわないかな」

等々。

ただ、いいと思うこともあった。

それは、1テーマ2000字で書く文章は「過不足なく」説明することが求められる、ということだ。

例えば、noteで書いたテーマを期間を開けて読み返してみると、話が飛んでいたり、説明が不足していて分かりづらい部分があることに気づく。
200字で書こうと思うと、読んでいる人の気持ちや感情変化のスピードを想像して、「ここは丁寧に説明した方がいいな」「ここは具体的にした方がいいな」と気づくのだ。

そうすると
「この時、何を感じたからこのnoteを書こうと思ったのだろうか」
「本当に伝えたいことは何だったっけ?」
と思い返したりする。

歌の歌詞も同じだ。
歌詞を書くときは直感を大切にするけれど、「何を伝えたいのか」を落ち着いて突き詰めて考えてみると、自分自身を見つめ直すことにつながる。

心は、農業と似ている。
耕せば耕すほど、そこからいいものが生まれてくる。

しばらく書く日々が続くけれど、これがいい歌作りにつながりますように。


声帯炎になって丸々2週間、歌を歌わかったのはもちろん、とにかく声を出さないように努めてきた。

そして、満を持して、練習再開!!

久しぶりなので、やはり声が鼻腔から抜けていかない。喉の上の方というか、鼻の奥というかが、なかなか開いてこない。

こういう時、歌は筋トレだなと実感する。

発声練習をいつもより長めに丁寧に。喉を温めながら、喉の奥を上に開きながら、ゆっくりと準備を整える。

そうして、そろそろと歌い出す。

Aメロは大丈夫。Bメロもクリア。高音域が多いサビも、恐る恐るだけどこなすことができると、始めてほっとした。

何回か歌っていると、などの柔軟性が戻ってくる。だけど、一番戻りが遅かったのが、腹筋!

声帯炎では、高音のファルセットが一番最初にやられて、一番最後に戻ったくる。

だから、高音ばかりを気にしていたのだけれど、、低音がしっかり出ないことにびっくりした。

あ、そうだった。低音の支えと高音の支え、声のボリューム、すべてお腹で捌いてたんだ。

小さい小人たちがお腹にやってきて、ぐぅっと支える手助けをしてくれてたのが、誰に一人としてやってくる気配がない、そんな感じ。

やはり、歌う事は筋トレだ。
明日からゆっくり歌う筋トレを始めよう。日常が戻ってきた。

気分よく散歩に出た先で撮った写真をSNSに挙げたら、思いの外、沢山「いいね」がついていた。

「いい顔してるね」と言ってもらって、嬉しかった。


「水玉とストライプの歌は名曲だと思う」

唐突に褒められて、ちょっと驚いたけれど、嬉しかった。
「ちぐはぐなの、二人」という私の曲のことだ。

この歌をラブソングだと言う人もいるけれど、師匠は「世界平和を感じる」と言ってくれた。

その後、水玉とストライプ(そしてボーダー)についての師匠の持論が展開されたが、ちょっとよく分からなかったので、割愛。

そしておでんの話に飛んだ。
師匠が行きつけのおでん屋のご主人が、「おでんは平和だ」と言っているそうだ。丸、三角、四角🍢と様々で、色々なものが一つの鍋の中に入っている。

あ、同じことを考える人がいるのだな。

「私はすき焼きの歌を作ろうと思ったことがあります」

肉の油🥩と、豆腐や野菜の水分🥬が、同じ鍋の中でぐつぐつと一緒になっている。平和のメタファーだと思う。

多くの人が平和を愛し、望んでいる。だからおでんやすき焼きや水玉に想いを馳せるのだろう。

平和を感じる歌、平和を届ける歌を作りたい💕


普段は楽器演奏に合わせて歌うのだけれど、時々メトロノームだけで歌ってみる。

そうすると
「あれ、ここの部分はこんなにゆっくり歌っていいんだ」
と気づくことがある。

音の取り方が、せっかちなのかもしれない。
気持ちが先走っていて、今この瞬間の音や言葉をおざなりにしているのかもしれない。

そこで
「一つ一つの音を最後までたっぷりと惜しみなく歌いきろう」
と、自分に言い聞かせてみた。

そうすると、歌が走らなくなり、気持ちに余裕が生まれた。
一つ一つの言葉を意識して、歌詞をしっかりと伝えようと、気持ちが変わった。

人生の一瞬一瞬を歌いきることと似ている気がした。

変な言い方かもしれないけれど、自分よがりになって不機嫌になって落ち込んで後悔して、、そんなことをしている場合じゃないな、と。

「自分よがり」を手放す時。
さっぱりしようと思う。


2月ライブの告知を開始しました。

当たり前だけれど、ライブをやる時は集客がつきものです。
集客は大変です。気が重いです。
誘いすぎて友だちが去っていかないかなとか、なかなか集まらない時はヤキモキするし、ため息の数が増えます。

基本的にワンマンライブが多いのだけれど、ツーマンやスリーマンなら集客の負担が減るかと思い、スリーマンをやったことがあります。
キャパ20人の小さいライブハウスだったので、自分のお客さんばかり呼んではいけないと遠慮して、10人に留めました。
でも蓋を開けたら、もう一人の出演者はお客さん1人、もう一人に至っては0人で、ビックリしました。

それ以来、人を当てにしてはいけないのだなと悟り、集客は歌を作ったり練習することと同じくらい大切な「仕事」だと思って取り組むようになりました。

でも最近、違う「効用」に気づいたのです。

集客を通じて、意外な人が音楽好きであることがわかったり、ライブのお陰で思い切って連絡ができて、改めて仲良くなったり。  

昔の知り合いが10年ぶりに「ライブをやっているの?」と連絡くれて、それがきっかけで友だちになったことも。

だから、ライブに誘って断られても、あまり気になりません。
もちろん残念ではあるけれど、その人が充実した時間を過ごせればいいなあと。

「旅行に行くから」とか「イベントに参加するから」等と理由を教えてもらえると、それで話が盛り上がり、そこから交流が始まったりもするし、自分のライブだけでなく、他の人のライブやイベントにも誰かを誘うようになりました。

「集客」は「集客」ではなく「交流」ー
そんな風に感じられるようになったら、少し気持ちが楽になりました。