今日、医師国家試験に落ちた友人が遊びにきた。


あと研修医の友人も。


全部で7名。


がやがやと楽しかった。


たくさん料理をして、お腹をすかせた研修医の友人が満足してくれてよかった。





落ちちゃった友人はもう落ちたときの喪失感は一山こえて、


今年どうしよう、とか他の人の顔色を必要以上に伺っている感じだった。


まーもともとそういうキャラクターなのか。





その国試浪人生、今は実家に住んでいるらしく、太って困るという。


お母さんが管理栄養士で、ご飯がとても美味しいらしい。


しかもお父さんは単身赴任で、1人暮らしだったとこに子供が戻ってきたもんだから、


嬉しくって毎回張り切って作るもんだから、もう大変とぼやいていた。






まぁなんかうらやましいような複雑な気持ちになった。






母は、今どこで何をしているのだろう。







9月に家を出たっきり、もう消息もつかない。








どうしようもない母の性格とその両親の激烈な行動があいまって



熟年離婚し、裁判し、お金に目がくらんだ母。



どうしようもない母と離れたい父。



どうにもできない妹。



それに振り回された私。








あれから、もう半年か。



何回思い返しても、私が頑張って家族をつなぎとめていたんだと思った。



絆とかそういうものではなく、両家の「調整役」だった。



無理していたなぁ。



大人はみんな悪口を叩き込んでくるんだもの。








「子供は子供でいいんだ」



って年上の友達に言われた。



そっか、って心が軽くなると同時に、



でも、子供でいられなかったんだよね・・・とも思った。



中学校のころ、大人の舞台に引きずり出された。








母は料理が下手だった。


家事全般が嫌いだったんだと思う。


土日は朝昼晩全部外食だった。




母は週に2,3回のバイト(午前9時から午後2時ごろまで)だったが、


うちにはお手伝いさんがいた。


週に3回、うちに20年ちかく家事をしに来てくれていた。





私は料理はお手伝いさんに教えてもらった。


裁縫も、アイロンがけも、お掃除も、何もかも。





母は教えてといっても教えてくれなかった。


家事をしようとすると、勉強しろと叱られた。






それでもお料理がしたくて、母より早起きして、自分でお弁当を作ったこともあった。


妹が自分の作ったご飯をおいしそうに、嬉しそうに食べるのを眺めるのが好きだった。


妹は、幼稚園くらいのころ、作り置きのパスタを「まずい」と言って泣いたことがあった。


母はパスタを茹でるのさえ、お手伝いさんにいいつけていた。


4時にお手伝いさんは帰ってしまう。


4時前にゆでたパスタを、インスタントのソースをかけて6時に食べるのだ。







母の料理にはあまりいい思い出がない。


ものごごろ付く前にバナナケーキを焼いてくれた気がする。


それが1番おいしかった。