「師を見るな、師の見ているものを見よ」

ー能楽にまつわるちょっとしたネター

 

  

大師匠から、幾度となく、時に噛み砕いて言われてきたことです。私はてっきり、かの世阿弥が書いた「風姿花伝」にでも載っているのかと思っていました。でも実は、内田樹さんの著書が出処だったようです。今、思い出しても、大師匠はたくさんの本を読み、たくさんのドキュメンタリーにも目を通し、弟子に聞かせてくださいました。
少し長いですが、引用します。

技芸を伝承する世界には弟子に対する教えがあります。

――師を見るな、師の見ているものを見よ――

「弟子が『師』を見ている限り、その視座は『今の自分』から動かない。 今の自分を基準に師の技や芸を解釈し、模倣することに甘えるなら、 技芸は代が下がるにつれて劣化し、変形していくでしょう。

弟子は、師その人や、師の技ではなく、 『師の視線』『師の欲望』『師の感動』に照準を合わせなさい。 師が実現しようとしていたものを正しく射程にとらえたなら、 原点にある大切なものは汚されることなく時代を生き抜くはずです」

内田 樹 著『寝ながら学べる構造主義』(2002年6月)より


これは、能楽における『師と弟子』について論じられたものではありますが、全てのことがらについて、なかなか的を得た道理ではないかと思っています。しかしながら、特に今時は何かの技術を習得していく中にあっては、とかく目の前に出来上がっている形への自己満足や、一時的な周囲の評価のようなものに惑わされ、目が曇ってしまって『進むべき道』が見えていないことに気付いてすらいないことが多いのではないでしょうか。

 

私は、「どこに向かって能楽師をしているか」ということを考えた時、「一流の能楽師として有名になりたい」などという想いは毛頭ありません。特に私が入門したのは、40代半ば。「風姿花伝」でいうところの『この芸術に携わる資質』はないことになります。もちろん、芸を引き継ぎ自分のものにするのが先ず第一の勤めです。日々、謡い、舞い、研究しています。一方で、40代半ばでこの道に入門し、わからないことだらけの中で奮闘しながら、大師匠に見せてもらった景色や能楽の面白さをたくさんの方に伝えていくのも自分の勤めと思っているのです。

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