「高砂」

ー金剛流の小謡本よりご紹介ー

 

 結婚式で
「高砂や この浦舟に 帆を上げて・・・」
という歌詞を耳にしたことがあるでしょうか。
この唄は、能「高砂」の一節です。ドラマの婚礼の場面で耳にすることがあるかもしれません。結納品で「高砂」の人形を送る地方もあるようです。

高砂の主人公は一対の老夫婦です。おばあさんは兵庫県の高砂神社あたりに、おじいさんは大阪の住吉神社に離れて住んでおり、演目はこのふたりが高砂の浦に一緒に登場するところから始まります。 
 
九州阿蘇の宮から高砂へやってきた旅人の神主友成が、土地に生えている松を見て
「高砂と住吉の両方に<相生の松>という同名の松があるのはなぜでしょう。」と老夫婦に尋ねます。
松について老夫婦と話し込むうちに、友成は二人が各々の土地の神様だということに気が付きます。おじいさんの住吉の神は友成を先導し、力強く勢いのある舞を披露します。

能に限らず和歌にも見られることですが、やまと歌(日本固有の文芸)には言葉遊び、異口同音、駄洒落があちこちに散りばめられています。
 友成が話題にした<相生の松>も<相老の松>と掛けられており、一緒に年を取っていくという意味が隠されています。また演目ではおばあさん(姥)は手に箒を、おじいさん(尉)は手に熊手を持ち登場しますが、これは都々逸の

「お前百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」

と掛けられています。というのは、

おまえ(姥)ひゃく(はく=箒で掃く)まで
わしゃ(尉)くじゅ くまで(熊手)

道具と言葉を合わせた駄洒落なわけです。
ちなみに昔は、一つ年上の姉さん女房が幸せになると思われていたようで、上手くできてるなぁーと思います。

今月の〈能舞メディテーション〉では、この「高砂」の小謡から「所は高砂の・・」を謡いたいと思います。