東日本大震災と福島第1原子力発電所事故からこの3月11日で4年目を迎える。午後2時46分には日本中で黙祷が行われている。私もあの日あの時を忘れられない。ちょうど参議院で総理大臣を迎えて決算委員会が開かれていた。私は決算委員会の理事として一番前の席に座っていたら、頭上の大きなシャンデリアがぐるぐる回り始めた。地元岡山と違い東京では地震は珍しくない。しかしこの時の地震はいつもより長く、揺れも大きい為これはただ事ではない!と、国会中継を中断した。決算委員会に総理大臣以下全閣僚が揃っていたので、そのまま官邸で緊急対策会議になった。

混乱が続く中、4月5月は避難所回りをした。傷痕も生々しく、避難所でも疲労と不安が続いていた。私たちは、要望だけでなくありのままを政府や党本部に伝えた。

その夏、岡山の展示会に私は東日本大震災で亡くなられた方の名前をしたためた巻き紙を展示した。当時毎日各県のホームページには東日本大震災で被害に遭って亡くなられた方の名前が発表されていた。私は、毎晩お祈りをして心鎮め、ご冥福を祈りながら名前を筆で書いていった。ホームページには所在地と年齢もあったが、名前だけ漢字で書いていった。書き写していると明らかに家族や夫婦や祖母と孫が一緒に亡くなったのがわかる。可愛らしい名前を書きながら何度も涙した。

昨日平成24年6月発行の姫井由美子通信第246号が出てきた。ちょうど岡山の支援者と震災復興ツアーを企画し岩手県大船渡市と陸前高田市を訪れた時だった。大船渡市では、当時から親交のあったNGOリザルツと合流して、震災孤児が暮らしている児童養護施設に行き、陸前高田市では、奇跡の一本松に行き、一本松を守る会の方からのお話に涙したのを思い出した。

選挙で落選した翌平成25年も岩手県釜石市にも被災地支援の事務所を置くNGOリザルツの理事となって、花巻市で亀田興毅選手と共に復興支援事業をした。

そして昨年夏には、福島県富岡市の木田さんに自宅に連れて行って頂いた。地震や津波被害に加えて原発事故被害の現場を目の当たりに見る。3月11日から止まったままの時間、復興の兆しはまだ見えなかった。

そういえば、このブログも昨年5月の宮城県での震災復興、森の長城プロジェクトに参加して、鎮守の森作りの為の植樹をした日で止まってしまっていた。

今年動き出したブログ。止まった時間を取り戻すだけではなく、復興も未来に向かって動きだそう。