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今年の始め、25年間、倉敷市の駅前にある逸見歯科医院を舞台にした木曜会が途切れる危機があった。

私が大学院を卒業して司法書士を開業した頃、一緒に司法書士の受験勉強をしていた税理士の井上先生から誘われて参加した。伺えば、井上税理士と逸見歯科医院はいとこ同士。逸見歯科医院の新築を機会に、建築家や税理士や弁護士等専門家同士で経済や政治の勉強をしようと始まったらしい。私は第2回位から参加したことになるのか。私が一番年下ということもあり記録係や案内文を作成したりしていた。結婚後は夫と一緒に参加することもあった。
その後、子供が生まれて、司法書士の仕事が忙しくなり、県議会議員になって、なかなか参加出来なくなり、私が参議院議員になってからは、休会状態であった。

逸見先生から突然の木曜会閉会宣言の葉書を頂き、逸見先生の入院とリハビリを知った。何度かご自宅を訪問して、退院後の逸見先生にお会いできた。手足は多少不自由だが、逸見先生の論調は健在で嬉しかった。その時、逸見先生から、首相公選制が提議された。
私は10年前の2001年、岡山で首相公選制の会を主宰したことを思い出した。
2回目は、民主党政権になって3人目の総理を選ぶ民主党代表選挙の前だった。代表選挙の前に逸見先生に会いたいと思った。私は、今回の民主党代表選挙は、少なくとも私の党員サポーターを集めて皆様の声を聴く会を開くことを告げると大変喜んで下さった。
その時、逸見先生から木曜会をもう一度復活したい気持ちを伺った。

前置きが長くなったが、復活最初の木曜会には、万難を廃して東京から駆けつけた。そして勿論テーマは首相公選制であった。私は、中曽根元総理時代な首相公選制の資料や、小泉元総理の首相公選制の資料を携えて参加した。
小泉内閣では、小泉総理の諮問委員会が首相公選制を検討するために12回開かれていた。私の同級生の北海道大学の山口二郎教授も諮問委員の1人だったが、首相公選制に消極的な確か意見だった。山口二郎教授には、私の政治顧問をお願いしている。だが、首相公選制が出来るかどうかを含めて研究会を開くのは構わないだろう。

私が今回の民主党代表選挙に際して首相公選制を改めて検討したいと思ったことがある。
国会議員に出馬する時、人は一大決心をして、古くさい言葉だが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で臨む。もし、落選すれば、職を失い、ただの人になる。だが、民主党代表選挙に破れても、国会議員のままでいられるどころか、あわよくば大臣等昇級?出来る。国会議員に出馬するよりハードルが低い?とはおかしい。しかも、国民不在なのだ。
戦国時代と違い、戦いに破れても命も名誉もなくならない。しかし、そこには、何にも負けない覚悟がありはずだ。
その覚悟を求めて、首相公選制を再検討したいと思った。