姫井由美子


2009年の船出



2008年を表す漢字に「変」が選ばれたように、新しい年を迎えて政治も経済も大きく変わろうとしています。大きく変わるとは「大変」なことでもあります。従来の何かを壊さなければ新しいものを築けないこともあるでしょう。その葛藤と痛みを乗り越えなければ、新しい時代はやってこないのです。
変革の過渡期である2008年、社会的にも経済的にも暗い話題が続く中で、我が国から4人もノーベル賞に選ばれたことは日本を明るく元気にしました。
このノーベル賞ですが、2006年の平和賞は、バングラディシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏に与えられました。なぜ経済学賞ではなく平和賞だったのでしょうか。バングラディシュは北海道くらいの国土に、日本の人口以上の人々が住む貧しい国の一つです。そこで彼は小さな銀行をつくり、仕事もなく担保もない人にお金を貸し続けると同時に、機織り機を貸し出し、その使い方を教え、仕事を創り出していったのです。ついに彼の銀行は、国内に2千の支店を持ち、農村の86%(7万2千の村、約6百万人)に利用されるまでになりました。仕事を創るとは、時代を生み出すことなのです。
ムハマド・ユヌス氏の目的は自己の利益ではなく、仕事のスキルのない人たちを「いかに豊かにするか」でした。イギリスでは、ブレア政権が、社会的事業がビジネスとしても成り立つソーシャルアントレプレナー(社会起業家)を誕生させました。イギリス国内では、現在までに5万人の事業者が77万人の雇用を創出し、5兆円以上の市場規模に達していると言われています。財政難の政府に代わって社会企業家を自立させることで、新しい未来が拓かれていきました。
日本では1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行され、それまで行政でも民間企業でも出来なかったことが出来るようになりました。もともとは1995年の阪神淡路大地震以降のボランティア活動の活性化によりできたNPO法人でしたが、世界的な潮流を受け、日本でも事業型NPOが生まれています。
また時代を遡ると、江戸時代末期の二宮尊徳は、貧しい農家から出て事業家として成功し、藩の依頼を受けて飢饉ですさんでいた農村にやる気と仕事を起しました。その上、藩から得た報酬を貧しい農家のために使いました。明治政府の大蔵官僚だった渋沢栄一は、退官後、銀行や保険事業など生涯5百の企業をつくりましたが、目的は自らの金儲けではなく、日本の近代化でした。彼らのような人材を篤志家と言いますが、今こそ日本には篤志家の誕生が必要です。
日本のすばらしさ、それは教育であり、食べ物であり、言葉であり、音楽や芸術です。また、誠実に対応し争いをしないといった「義」の心、「和」の心でもあります。まず、日本人が日本のために何ができるか。住んでいる地域のために何ができるか。そんな一人一人の思いと行動を原動力に、帆を元気に張って日本丸を進めていきます。

平成21年 1月 1日 姫井由美子