姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子

姫井由美子


岡崎 亀子(参議院議員 姫井由美子の実母)
●PDFファイルはこちらです↓
http://himei.jp/hime_tsushin/upload/1253869426_3.pdf

<幸運に恵まれた東京行き>
『九月大歌舞伎観劇』

九月二日 四時三十分起床
六時八分岡山始発の東京行き新幹線のぞみのグリーン九号車は、乗客私一名で出発した。次の停車駅姫路でも誰も入ってこない。私は何か幸運を感じ、東京九月歌舞伎公演券と、新幹線往復・グリーン車券を用意して呉れた娘に感謝する。
 途中から娘の姫井が合流。死に土産と娘に甘えた、憧れの東京歌舞伎座で十一時開演の昼の部と、午後四時三十分開演の夜の部と、一日歌舞伎浸りで感激してしまった。翌朝すぐに帰岡するのは惜しい気がして、娘に話すと早速新橋演舞場九月新派公演に電話を入れ昼の部の二列正面が一席だけ空いているとの事ですぐに券を入手、再びの幸運に喜んでいると娘が突然言い出した。
「明日富士山に登らない?」
「えっ、富士山?」
「心配いらない。歩かなくてもよい。富士山タクシーで登るから」
私は意味不明の儘こんな絶好のチャンスなんて一生やってこない。自分の体調も考えずにすぐにOKした。

『九月新派公演 おんなの家』

 翌日九月三日タクシーで独り新橋演舞場へ、十一時開演の昼の部・橋田寿賀子作・石井ふく子演出『おんなの家』公演、テレビでしかお目にかかっていない顔なじみの俳優の名演技に引き込まれて、腹をかかえて笑い陶酔してしまったが、終演と同時にその新派公演の余韻に浸る余裕もなくタクシーに乗り娘と合流して新宿駅へ、特急中央線・富士急行に乗り継いで、夕方富士吉田のホテルに着いた。夕食は、明日お世話になる富士吉田の新屋山神社(あらやさんじんじゃ)の堀内宮司に「牛舎」という名の焼き肉屋さんへ連れて行ってもらった。日本一の山に登るのだから肉を食べて体力をつけなくては!いつになく食べすぎてお腹いっぱいになったが、最後の冷麺は美味しくて、またお腹に入った。

『富士山登山』

翌日六時三十分迎えの車で富士登山口五合目に行く。車の中で新屋山神社の堀内宮司より説明を聞く。富士登山観光客の飲食料・おみやげ品等山頂まで運び、下山時弁当殻・空き缶・大小便の廃棄物までゴミ処理のブルドーザーが毎日富士山頂まで往復している事を初めて知った。
これを名付けて富士山タクシーと言っていると堀内宮司が笑い乍ら話される。
そのブルドーザーで私たちグループがこれから富士山頂まで歩かず登るまるで夢の様な真実の好運。五合目の駐車場には沢山の車が並んでいた。ここには松も雑木も草木も茂っている。その雑草の中に一際目立って鬼アザミの紫色の大きな花が美しく咲き乱れていた。私たち一行は今日は荷物となって、建設工事用車と見紛うブルドーザーに乗り込む。自衛隊同様の服装にヘルメットをかぶった富士山東口運搬小野商店の小野秀一さん、左右の補助席に私と運搬会社社長の息子さん(十七歳の少年)が乗る。前の台にマットレス・布団を敷き詰めて堀内宮司・娘の姫井・山岳写真家ご夫妻が足を投げ出して厚手の毛布を掛けて、カメラ・ビデオを手にして用意万端、後の台には数名の山の管理者が乗り込まれて九時十五分さあ出発!
 説明は受けていたがガタン・ガタン・バシャッ・バシャッ、その凄まじさに体は飛び上り左右にぶつけられる。一寸の油断もできない。急勾配の火山弾の混じったガタガタ道をブルドーザーは器用に登って行く。途中鮮やかな鬼アザミ・可愛いホタルブクロ・トリカブトの青い花が目を引いていたが、七合目近くになると全てなくなり、唯黄色になった菜花の様な株だけが、赤茶けた火山灰の斜面に点々と残っていてその草の生命力の逞しさが妙に感ぜられた。全く藪から棒が出たような不意の登山で、何等の予備知識も無く長靴も軍手も借りての申し訳ない登山で、ブルドーザーに振り廻される身体と同様に心も上の空で踊っていた。横に棚引いていた雲海もまたたくまに白い雲となって、はるか下に山々と連なり墨絵の様に見える。今日は曇っていて青空は見えない。
 八合目辺りになると、さすがに赤茶けた荒々しい火山弾の山肌のみで草木一本見当たらない。勾配も一際巌しく二本の轍の窪みが深くついた狭い山道のその中をブルドーザーは実に鮮やかに進む。45度位の勾配になった。これを登るの。生唾を飲み込む。
 車はバックして方向転換、私は谷側の高い補助席なので横を見ると車はまるで真っ白い雲の中に浮かんでいる様でぞっとした途端ブルブルブルッと猛発進で一気に突き登る。これが何度も繰り返されるのでもう口もきけない状態になった。登山道には二人組、数名のグループの人たちがゆっくりと登っておられる。お互いに手を振りあう。
ブルドーザーの大きな音で聞こえないけれども「ご苦労様。お先にゴメンナサイ」力いっぱい大きな声を掛けて通り過ぎる。グループの中に女性が多いのに驚き、女性の頼もしさを嬉しく感じた。しかし私は一歩も登らないでブルドーザーで登頂した事が、一生懸命登山している皆様に何だか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

『富士山頂』

山頂はすり鉢状ではあるが思ったより平地もあり、かなり周囲が展望できる。中央あたりにおみやげ店がある。店の前のテーブルで大勢の登山者が食事をしたり、休んでおられる。私たちは富士山の火口縁から「バンザイ」をした。それから山頂の売店「扇屋」の前から下界を見下ろした。東西南北も判らず遥か下に見える場所も何処か判らないが、山の冷気に洗われた清々しい気持ちで写真を写して貰う。
 ここまでは良かったが、さあ歩こうと思ったが右に左にと足が萎えて呼吸が苦しく進めない。しまった、酸欠だ。「さあ」としゃがんで背を向けて下さった宮司様に負んぶされて店の前の休憩所に腰を下ろして、ハアーハアーと大きく息をする。小野秀一さんが息子さんに酸素吸入器を車まで取りに走らせて下さる。山岳写真家の奥さんが、酸欠によく効くと薬を下さる。息子さんが差し出した吸入器で何度も何度も大きく息を吸い込む。
 この店で飲んだ一杯の熱い「ココア」は甘く甘く胸にしみこんだ。なんであんなに甘く感じたのか未だに判らない。この場所からは山中湖がはっきり見えみんな眺めている。負んぶして下さった宮司様の背のぬくもり、薬・酸素吸入器を差し伸べて下さった皆様の温かい気持ちに心が打たれて、山頂の浅間神社にこのありがたさを感謝いたしますと手を合わせて祈った。合掌

『富士山下山』

正午に下山出発!富士タクシーブルドーザーは、五合目までバック運転する。重心の関係でバック運転でしかおりられないのだ。バックで下りると気分が悪くなるので、皆さんは前に腰を下ろして下さいと小野秀一さんが言われる。私たち同乗者は今度は前から(登る時は後)マット・布団を敷き並べ、登山時と同じ様に足を前に投げ出し寝そべって、上からしっかり毛布・布団で覆った。下界では信じられない寒さ、冷たさが身体にしみる。しかしそれを感じる間もなくガタン・ガタン・バシャッ・バシャッの激しい衝動が頭、肩を打つ。山頂より下るに従い酸素が増して来るので眠くなると堀内宮司がおっしゃった通り、八合目あたりまでは写真を写しておられた人も、いつしか全員眠り込んでいた。小野秀一さんが上体半分を後ろに捩じり注意深く、富士山頂から下界までのバック運転される姿に私は感謝感激。下山しておられるグループの人々にも申し訳ない気持ちで手を振っていたが、激しい衝動も心地よくなりいつしか眠り込んでいた。
 七合目まで下山した折休憩所の前で、店の社長さんが大きく手を振っておられる。登山中の一人が高山病に罹られたので乗車させて下さいとの事、六人グループで三名は登山を続け、二人が病人の両脇に連れ添っておられる。一人は最後まで連れ添って病人と乗車され、残る一人は元気よく登山に出発された。このグループの心遣いの有難さを感じたので敢えて記した。山は厳しい。甘く見てはいけない。私はつくづく思った。富士登山道には塵一つ落ちていなかった。日本国民は勿論の事、世界の人々からも愛されている美しい景観の富士山。地元の清掃活動をしていらっしゃる人々、その他諸々の計画実施をしていらっしゃるみんなが望んでおられるこの富士山が、必ず世界遺産に登録されるよう願って止まない。

平成21年9月吉日