森岡ママを偲んで

 森岡まさ子さんがこの世を去りました。数え年100歳でした。
明治43年(1910年)広島県の上下町で生まれて、被爆者の夫と共に戦前、戦後の激動の
時代を、明るく元気に前向きに生き抜いた女性です。
夫と共に、未来を拓く若者に平和構築の夢を託したユースホステル「MGユース」には、全国
から森岡パパの話を聞きに若者が集まり、パパ亡き後は森岡ママを頼って集まった人の和
が広がっていきました。
 私と森岡ママとの出会いは18年前になります。岡山県中小企業家同友会の婦人部で
ママの話を伺いました。すべて「○○があってこそ(・・)」感謝の気持ちで飲み干すと何でも
治るという「こそ丸」(薬)の話など、目からうろこであり、また、原爆症の夫との葛藤の毎日
の話は、涙なくしては聞けない感動を味わいました。
 さっそく、森岡ママの講演会を岡山で開催すると共に、森岡ママの生き方を学ぶ「自分さがし
の会」という会を岡山の女性たちで立ち上げました。以来、岡山で森岡まさ子さんの話を聞く
イベントを続けてきました。
 8年前に県議会へ出馬する時も、今回の参議院へ挑戦する時も、いつも森岡まさ子さんは
激励してくれました。
嬉しい報告をする時間が持てない間に、逝ってしまわれたことがとても残念です。
 でも、きっと森岡ママは天国から「ヤッホー!」と大きな笑顔でこれからも見守ってくれると
信じています。
                          参議院議員 姫井由美子


告別式のご案内
日時:平成20年5月17日(土) 13:00~
    場所:上下斎場  翁苑
         広島県府中市上下町上下253-2
            電話:0847-62-3833
    喪主:森岡 正裄(もりおか まさゆき)様

森岡ママ プロフィール

明治43年(1910年)広島県甲奴郡上下町に生まれる。上下高等女学校、第3回卒業。
戦前、新聞記者・森岡敏之氏と結婚。その後、京都大学フォスコ・マライーニ氏の秘書を務める。
戦後、原爆症の夫を抱え(広島県公認高等文化女学校)を設立。同校長として就任。
戦後の混乱期に若い女性たちへ、夢と希望を与え続けた。
明治34年(1959年)広島県内初の民営ユースホステルを開設。
夫を亡くした後も経営を続ける。
NHKテレビ「人間ゆうゆう」でも紹介され、また90歳をこえてからも本を出版するなど、その
生き方は全国の人々に夢と感動を与えた。