結婚観の前に、少し恋愛観のお話。

 

 

私の恋愛観を築いた原点は

思い起こせば、映画「耳をすませば」。

 

バイオリン職人になりたいという夢に向かい進む聖司くん、

その聖司くんと較べ、夢に向かって何も行動できていない自分に憤る雫、

お互いの努力する姿に刺激を受け合いながら夢に向かって成長していく二人。

 

終盤、雫を自転車に乗せて坂を登ると決めた聖司くんに

荷物になりたくない、役に立ちたいと自転車を降りて一緒に自転車を押す雫。

幼心ながらに、これを観た時から決めていたんです。こういう関係を築こうと。

 

よって、私のタイプ=聖司くんに近いタイプで

顔/スタイル/文系理系/国籍とかは何も共通点がなかったけれど

夢をもって行動している人という相手だったところだけは一貫していた。

(大きな夢だけ語って言動伴ってない人は、結構早めに気持ちが冷める)

振り返れば中学生くらいからずっと、そういう人を追い続けてきたわけです。

 

 

ただ30歳も目前になると、自然と恋愛の先に結婚を意識するわけで

「30歳には子供が二人いて、、、」とか当然のように語っていた

吸いも甘いも知らない10代の頃の自分に申し訳ないような気持ちにもなるもので

相手に対してもついつい同じようなゴールを描くことを期待してしまう。

 

だがしかーし、大概にしてそういう聖司くんタイプの人には

家族をもつとか大きな人生の転機には自分で決めた”タイミング”がある。

”タイミング”って言葉は、何だか言い訳のような気がして余り使いたくないけれど

その”タイミング”の重要さってやつを痛いほど感じさせられるのが結婚適齢期。

 

聖司くんも雫も、実はあの物語のあとに続きがあって

聖司くんがドイツ留学した間に二人はすれ違ってしまったり

聖司くんがドイツについてきて欲しいと言っても雫は小説家への夢の途中であったり

雫が結婚適齢期に突入しても、聖司くんは一人前のバイオリン職人になれるまで

とか理由をつけて結局”タイミング”が合わず一緒になっていないのかもしれない。

そんな昔は考えることもなかった「タイミング問題」を想像してしまうのです。

 

かくいう私も、そろそろ相手にそういうことを考えて欲しいという葛藤の中で

正面衝突して見事玉砕して、タイミングを覆すほどの魅力を持っていなかった自分に

自信を失くして、臆病になって、さらに自分が嫌になってしまうという

まさに負のスパイラルに陥ったりもしました。


 

勉強や仕事は、頑張ればある程度成果に繋がるけど

色恋沙汰って、努力=成果に繋がらないのが難しいところ。

 

だからって駆け引きとかしてると

上手くいかなかった時に素直になればよかったと後悔しそうで

それよりも自分を曝け出して、玉砕したのであれば本望であろうという

武士のような心情に達して、付き合ったり別れたりを繰り返し続けたわけです。

 

そうしてこうして出会ったのが、今の夫。(その話は次回にまわすとして)

 

 

結論、恋愛って面倒くさっ!!!

 

色々なステップを省いて「交際0日婚」とかする有名人の気持ちも

きっと若い頃にはわからなかったけれど、今ならわかる35歳目前の冬です。