皆様、御機嫌よう……。

 

お仕事の準備をしていたのですが、急遽お休みしてしまいましたわ……。あまり病気自慢をしたくはないのですがわたくし、複数持病を持っておりましてね……。体調が芳しくない時が御座いますの。幸いにも病気に関して理解のある会社に勤めているので休む事は……ある程度は許されるのですが、わたくし自身が働く気持ちがあるのにも関わらず身体が動かない、という症状に酷く悩んでいますの。現在、会社に在宅勤務の手続きをしていただいている状況なのですが、中々一向に前に進まずもどかしい思いをしておりますわ。

 

こうして文章を打つことは出来る、それだけの気力はある、しかし、身体が動かない。本当に人生とは理不尽なものですわね。生まれながら病気や障害を持つ人もいらっしゃいますし、その症状により不幸を呼び、更に病を発症する。「幸せに生きる権利」とはなんでしょうか?それは健常者の方の目線でのお話ではございませんか?生まれながら病や障害を持った子供達が果たして「生きることで幸せ」になれるのでしょうか?何故、「安楽死」することが許されないのでしょうか?ご存知の通り、この世界に死なない生き物は存在しませんわ。今の最先端の医療をもってしても生と死は切っても切れぬ関係。

 

 

ならば、「幸せな最期」を含めての「幸せな人生」なのではないでしょうか?

 

 

極端なお話、医療を極めても苦痛から開放されない限りそれは地獄でしかないとわたくしは感じますわ。がん末期患者の方は経験していない赤の他人には想像出来ないような苦痛が待っていると聞きますわ。しかし、「他者が考える人生の幸せ」を押し付け延命治療を続けるのは本人の意思に背いているとわたくしは考えます。がん以外にも認知症など様々な難病が存在します。

 

残酷なお話ですが……

 

平和が訪れ医療の発達により病から逃れた結果、働けない高齢者が増え、国が負担する医療費が増え、若者にお金が回らず、今の少子化問題が起きているのではないかとわたくしは考えますわ。

 

そんな端的な問題ではないのは百も承知の上です。

 

しかし、生と死は切っても切れぬ関係である以上、「幸せな死」についてもう少し真剣に向き合うべきなのではないかとわたくしは考えますわ。

 

皆様は質の悪い時間が長く続くか、質の良い時間が適度に続くか、どちらを選ばれますか?