〜還暦からの独り言〜

〜還暦からの独り言〜

母の介護が終わり、父親との確執を乗り越え、自分だけの、自分のための人生を生きたいと願う日々の気付きを書いてみます。


年老いた親を捨てる事とか、

私が居ないと生活が成り立たないのではないか?という事とか、

いつもの事と知らんぷりして元に戻る方が良いのか?と自信が揺らいだ事とか、


それらは、初期の頃の罪悪感。


今、半年過ぎて思う罪悪感の理由は、


『言うことを聞かないと、怒り出す!』という幼少期からの父親に対するトラウマが全ての罪悪感の根源だと思う。


あいつが怒り出すからこうしなさいという、母の言いつけ。

常に聞かされていたのは、『いつ怒り出すか、いつ気が変わるか、わからない』という言葉。


常に、ビクビクしていた。

いつ怒り出すかわからない父親の存在が疎ましかった。

本当に心底嫌いだった。


それでも、父親らしい心はどこかにはあるのだろうと思ってた。


自己愛性パーソナリティ障害という病気を知るまでは‥。


今、親子の縁を切ってやると言われたことを、無かったことにして、またこき使われる生活に戻ったとしても、また必ず自己愛憤怒は起こす。


その度に暴言を吐かれて、ぶっ殺してやるとか、縁を切ってやるとか言われるのだろう。


本当は縁を切りたいのはこっちの方なのに、私が困るだろうと勘違いをしている。


私を困らせることで自己愛を満たそうとしているようだ。

何を言っても俺様の支配下からは逃げ出せないだろう!と思っているからの言葉なのだろう。


母が亡くなり、喧嘩ばかりの毎日で、出ていけ!と言われて、即出て行った事を忘れたのだろうか?


あの時も、顔を合わせるたびに、いつ出ていくんだ!と言っているから、『来週引っ越す』と言うと、親に相談もなく、何が引っ越すだ!と烈火の如く怒り出した。

出ていけと言ったじゃないか!とまた喧嘩になった。

出ていけと言っても俺様の支配下から出られるわけがないと、たかを括っていたのだろう。


4年前、ぶっ殺してやる!と言って警察のお世話になった時も、

それでも俺様の世話をしている、

という事は何をしても許されるんだ!と、多分誤解したに違いない。


警察沙汰の後も、何度も悔しい思いをしてきたのに、即部屋から立ち去るとか、不機嫌な態度をするとか、私なりに対策したつもりだったけと、全く伝わっていなかったようだ。


逃げ出さないという事が、俺様を見捨てないという事になってしまったのだろう。


頭の中が単純で、何だかんだ自分の良いように解釈するようだ。


その度に私のメンタルは疲れ果てていった。

早く死んでくれと、毎朝毎晩願った。

でも、死なない。


ぶっ殺すと今回言わなかったのは、周りに施設の人が居たからだろう。


お前なんか親子の縁を切ってやる!に変わった。


ぶっ殺してやる!から4年経って、やっとチャンスが巡ってきた。


縁を切る!と宣言したのは父親の方だ。

親戚や周りの人達にも、娘と縁を切った!と言っているようだ。

切られたとは言ってない。


やはりナルシストだ。


自分から切ったというのは、譲れないポジションなんだろう。


自分から縁を切ったと言い、いかにひどい娘かという事を、散々人に言いふらしておいて、そんな娘でも詐欺に遭ってお金を騙し取られないか心配だとか、周りには出来の悪い娘を心配する父親を演じているらしい。


さすが、自分に都合のいいストーリーを作る事に関しては、よく頭が働くようだ。

心配だから連絡を取らねば!と話しているようだ。


どこまでも情けない人間で、これが親だということが、私は本当に情けない。


病気のせいで、感情のコントロールができない、他人に共感する能力が欠如しているというけれど、それをなぜ私が全て引き受けなければならないんだ?


気持ち悪すぎる。


申し訳ないけど、母は騙されたにしても、好きで結婚した。

私は生まれたくてここに生まれたわけじゃない。


今でもこの60年間のトラウマは残っている。

多分ジジイが死ないないと、本当の自由は味わえないのかもしれない。


それでも、60歳で自分の家を持ったんだから残りの人生だけでも、ビクビクしない生活を送らなくちゃ。


あまり考えないように、私は私の人生だけを考える。

人のことは関係ない。