おはようございます

今日は、肌寒い朝ですね、

夢いっぱいの小さなダンススタジオを日々学びと気づきを求めながら経営している

ダンス指導スペシャリスト 本田優美です


今日はオーディションに受かって、ダンサーデビューした時のことを書きますね
20歳になった年に東京ディズニーランドのダンサーオーディションがあることを知り、応募した。人生初のオーディションを受けに浦安のはずれにあるOLCのアドミ入口にバスから降り立ち、だだっ広い空き地の向こうにあるパレードビルで、大した緊張もせずに審査員の前で踊り、晴れて合格!
初年度からショーキャスティングに入り
トゥモローランドブラス というバンドさんと一緒のアトモスショーに配属された!

女子六名とバンドさんとローラーペア一組 でスペースマウンテンの横でゲスト直近でやるショーでした

二月半ばからリハーサルが始まり、訳がわからないまま先輩方から学びながら頑張っていた!と思う。
パレードは、ウェスタンフロートのカンカンダンサー

30分間のパレード中、グランバットマン(足を高く上げるやつ)を鬼のように繰り返す、めっちゃ、体力勝負の役でした!
そして、何日も続く明け方の
現場(パーク内)でのドレスリハーサル、
一度しか遊びにきたことのなかったので、ゲストのいないパークをお上りさん風にキョロキョロしていました!

デビューの日は、春休み中で、いきなりたくさんのゲストの中に出て行って、笑顔で踊る!
緊張したけど、目立ちたがりの私は、気持ちよかったです
それからの生活は
午前中に出勤して、その日のシフトメンバーでリハーサルして、メイクして、準備をして、二回ショーやって、お昼休憩して、もう一回ショーやって、パレードビルに戻って、今度はカンカンダンサー様にメイク直して、カツラ被って、衣装着て、パレードで踊る。
戻ってきてまた、衣装着替えて、メイクとヘアー直して、最後のショーに出ていた。

そこから、都内にレッスンに行ったり、地元にダンス教えのバイトに行ったり
予定のない日は、宝塚見に行ったり、ご飯食べに行ったりと、充実した四年間を過ごした。
この四年間で、ディズニーマインドが叩き込まれ、全てはゲストのため!のエンターテイメント学を学びました。
キャラクターのかわいさにもハマり、キャラクターと一緒に演舞するのが、本当に楽しかった!

四年間の間には、出たいショーに出れなかったり、内部オーディションで落ちたり、たまーに認めてもらえてイベントショーにでれたりと、上司に媚びることもできない性格だったので、もんもんと悩んだり、喜んだりと、色々ありました。

が、後半の二年間は、
ここに居たんじゃ、私はダメになる。
私の居場所は、ここじゃない
と、焦っていました。

最後の一年は、外部の仕事をするようになり、オーディションもガンガン受けて、自分の居場所探しがはじまりました。

そして、横浜博 そごうパピリオンのミュージカルダンサーに受かったのを機に、平成元年になった翌月に退職しました。

その時はやっと辞められた!
と思いましたが、今思い返すと、かけがえのない四年間でした。

最後までお付き合い頂きありがとうございました



まだ脚が太い時代でした😅