1月のおたより(2) | sho-chan-hitorigoto

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好きな本を読みながら日々感じたことをお便りにしています。

などもそうだが、天風は師について習ったことはない。すべて独習である。彼の独習の方法はまず見ることだ。例えば、他家の壁に気にいった絵が掛かっていると、しばらくじっと見ている。そして帰宅すると、寸分違わぬ絵をさっと描き上げた。

なぜそういうことができるのかといえば、見るときに高度の集中力を働かせるからだ。言い換えれば無我無心の心の状態で、対象に没入して見る。するとその対象がこちらに流れ込み、心のなかに蓄積される。その蓄積されたものが、筆をもったときイメージとして紙の上に現れ出てくる、という。これらの話は、天風の教える「安定打坐法」(天風式座禅法)を思い起こさせる。無心の境地に至れば、人間は最高の能力を発揮できることをみずから体現していたのだ。

また彼は道具をたいせつにした。彫刻や篆刻に使う刀は、自分で納得がいくまで研いだ。彫る時間より研ぐ時間のほうが長いくらいだ。家人がそういうと、「先を急ぐことを考えると、土台をつくれず、万事成功しがたい。刀を研ぐときは研ぐことに気を入れて、先を思わない。研ぐこともまた楽し、という気持ちでやる」といい、研究して自分で焼き入れまでしたという。

天風はとにかくモノを作ることが好きだった。ひまがあると座敷に木材をもちこんで、ギコギコ(のこぎり)を使う。そうして小箱や筆立てを作り、その周りに花や文字を彫る。

軍事探偵時代の後遺症で、天風は歯が悪かった。天風会会員の橋田雅人医師にしばらく治療してもらっていたが、例によって好奇心がうごめきだしたらしい。初めのうちは調子のわるいところを自分で直す程度だったが、そのうち専門の歯科医用機械を買ってきて、入れ歯そのものを自分で作りだした。これは講演用、これは食事用、と用途別に分けて作ったところが天風らしい。やがて周辺の者に、「歯の悪いところはないかい。あったら私が治してあげるよ」などといいだし、家族はうっかり「歯が痛い」などとはいえなくなったそうだ。

さて、他人に対して誇示することこそなかったものの、天風は、一般人の常識では考えにくい能力を発揮することもあった。修練会では大勢の目の前で、ばたばたと暴れる鶏を気合い一つでぴたりと動きを止めたり、火で真っ赤に熱した鉄棒を手のひらでしごいたり、畳針を木槌で腕に打ちこんだりした。また人に腕時計の針を任意にぐるぐる回して伏せさせ、針が何時何分を指しているか当てたりもした。たまたま話のなりゆきで株や競馬の予想をし、それがぴたりと的中したこともあった。

弟子のひとり、佐々木将人(合気道師範)はこんな体験をしている。ある日、天風といっしょに電車に乗ったとき、座席に座っている乗客たちの降りる駅を、天風はすべて言い当てたという。佐々木はまた、自分の財布のなかの金額をずばり充てられて、驚いたこともあった。

ある年の暮れだった。首をしめた鴨が二羽、かごに入れて天風宅へ届けられた。他のお歳暮といっしょに廊下に置いておいたところ、たまたま通りかかった天風が目にとめて、かごを取り上げ、「この鴨を生き返らせてみせようか」という。いくら天風でも、死んで何時間もたっているのだから……と思っていると、天風は一羽の鴨を手のひらの上にのせ、思念を送りはじめた。数分もたつと、鴨の目があやしく動きはじめ、だらりと垂れていた首が持ち上がり、やがて天風のひざの上に立って、不思議そうに辺りをキョロキョロ見回しはじめたのである。

だがその後がたいへんだった。生き返った鴨が家のなかを歩きまわって、ガアガア鳴きながらところかまわずフンをする。暮れで忙しいときなので、困った家人が天風に、「鴨を散歩にでも連れ出してください」といったものだから、天風はのちのち、「鴨を生き返らせたばっかりに、鴨といっしょに家を追い出されそうになった」といって人を笑わせた。

だが天風は、こうした能力をけっして自慢することはなく、人間本来の力を正当に使えば誰にでもできることだといって、天風哲学を理解させる方便に使ったのである。

ところで天風は、若いころこそ気の短さや激しさで、手のつけられない暴れん坊であったが、後年は実に細やかな気づかいをする人間となった。

例えば東京を離れた宿などでは、時にスタッフたちが気分転換に麻雀をすることもあった。隣の部屋で天風が読書をしているので、最初は静かにやっているのだが、つい興にのって騒がしくなる。そんなときでも天風は、一度も苦情をいったことはなかった。それどころか、つい大声をあげたことにスタッフたちが恐縮していると、部屋から顔を出して、「誰が勝っているんだい?」などと声をかけたという。

人間は昼間の生活によって消耗した生命活力を、夜間の睡眠中に充電するとして、天風は睡眠の重要性を日頃から説いていた。だから生命力復活の道具である寝具を、他人に始末させるのはまちがっている。感謝の気持ちの表現としてみずから整理すべきである、というのが彼の考えであった。

ある旅先の旅館でのこと、朝、女中が布団をたたみにくると、すでに天風がみずからたたんでいる。恐縮した女中があわててやろうとすると、「いや、これは私の朝の行事だから」といって女中にやらせない。それでその女中は、「この先生は、昨晩夜具を汚したにちがいない」と誤解したという笑い話が残っている。

ふだん会員たちに健康によいからと勧めていた朝の冷水浴、呼吸操練、統一体操なども、九十歳を超えてさえ一日として欠かすことはなかった、というから驚嘆する。冷水浴など夏はまだいいが、冬となると九十歳の体にきつくないはずはない。しかし天風は寒い朝ほど、「今日はいい寒さだ。このくらい厳しいと、いい気持ちだ」といっていたという。こうして言葉にすることによって、潜在意識に働きかけていたのだろう。

水風呂の後、裸のままひげを剃り、庭に出て呼吸操練と統一体操をやる。それから犬に声をかけ、小鳥や金魚などに餌をやる。これが毎朝の行事だった。そしてこれらをするあいだ、ずっと裸のままなのである。

さて、ちょっと意外な感じがしないでもないが、天風は上に「超」をつけたいくらいの動物好きだった。天風邸で飼われた動物は、犬、猫、鳥類、魚類などのほかにも山羊、猿など、およそ家庭で飼える動物なら何でも……といった状況だった。    〔続く〕