sho-chan-hitorigoto

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好きな本を読みながら日々感じたことをお便りにしています。

皆様方の長年のご厚情に厚くお礼申し上げます

 

下記は長男の葬儀時の挨拶です。

「本日はご多忙の中、父昭治の葬儀におまいりいただきまして、誠にありがとうございます。

遺族を代表いたしまして、皆様に一言ご挨拶申し上げます。

私は故人の長男、紀昭でございます。

 

みなさまから見た父はどのような人でしたでしょうか。

 

私から見た父はいつも優しく、こうしろああしろといった干渉された記憶もありません。

どこか達観していて いつも見守ってくれている人でした。

そんな父のことが大好きでした。

 

恐らくですが父のことを嫌いに思った人は 多くはないのではないでしょうか。

 

あまり私のことに干渉しない父ですが、ひとつだけ例外があります。

約20年ほど前の話になりますが、私は年に1、2回程富山に帰省しておりました。

城端から東京に戻る際に 高岡駅まで父に車で送ってもらっていたのですが、よく覚えておりますのが、35歳を過ぎてなかなか結婚しない私に対して 「結婚はしないのか」 とそれとなく聞いてきて、私が「そのうちにね」 と答えるというのが定番の会話になっていた時期がありました。

心配してくれてるんだなと父の気持ちをありがたく思ったことをよく覚えています。

その会話も私が38で妻のけいさんと結婚してからはなくなりまして、それ以降は元の達観して見守ってくれる父でした。

 

そんな父もちょうど15年前の今の時期に大病を患い、大手術をしまして、その時ダメかもしれないと万が一を覚悟しました。幸い手術は成功し、ヨーガ教室を続けながら、年に2、3回は母と旅行に行ったりと、穏やかに過ごしていたかと思います。

 

私が結婚して以降は年に3回、正月、5月の曳山まつり、9月の麦や祭りに帰省しておりました。うちの3人の子供や 弟の俊昭の子供のりんくうくんの帰省と、孫たちの成長を楽しみにしてくれていたように思います。

 

そんな中でも最後の2、3年ほどでしたか、ぼんやりと遠くを見ているようなことが多くなり、ロウソクの日が徐々に小さくなるように 元気がなくなっていたように思いました。

昨年の夏の猛暑で体力が奪われたのか 9月に帰省した際は長くはないかもしれないと覚悟はしておりました。その後少し元気になり、11月、12月と島根県の出雲に母と二人で旅行に行き、正月にも3人の孫を連れて帰省した際には元気な姿を見せてくれて安心しておりました。

 

亡くなった当日の朝も母と普通に家で朝食を取り、そのあと家で亡くなることになりましたが、最後まで家で母と過ごせて幸せな人生だったのではないかと思います。

このようにおだやかで充実した人生を送ることができましたのも、ひとえに皆様のおかげでございます。

 

今後とも、故人同様に遺族へ変わらぬご指導とご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました。」