今の夫の様子 | 小細胞肺がんとともに生きる夫の記録

小細胞肺がんとともに生きる夫の記録

2023年6月19日小細胞肺がんⅣBと診断を受けた50代夫の治療を記録していくためにブログを始めました。
ブログ初心者ですがよろしくお願いします。

過去を遡ってブログで夫の記録を残しておこうと思ったものの、

なかなか気力と時間がなく書けない、、。

 

なので過去は一旦置いておいて今の記録を残しておきます。

 

5月9日  放射線治療開始の予定が、胸椎の神経がダメージを受け下半身が麻痺。

救急車で運ばれ入院。この日に放射線1回目とMRI。

 

5月10日 放射線2回目 夜 コロナ感染がわかる。

5月10日から19日 感染のため放射線治療できず。無治療。

5月20日から29日 放射線3回目から10回目 麻痺は戻らず、痛み緩和のための放射線に切り替え。

 

5月28日夜 主治医からの電話 放射線室までベッドで移動しているがその揺れも辛い様子。

自宅への移動、または自宅近所のホスピスは危険。そのためがんセンターの緩和ケア病棟を勧められる。

 

6月3日

がんセンター内の緩和ケア病棟への面談。

この面談では、

本人と家族が、緩和ケア病棟ではがんの治療を行わないことを了解していることを確認する。

 

主治医を通して、夫は仕事に復帰できること希望に入院生活を送っている、

治療ができないということを、ぼやかして話してほしいとお願いした。

 

けれど、

 

『治療をしないことを了解していることが入棟のルールなので、それは話さないといけない。

もし、それで本人が拒否したら、せん妄があるので理解が少し難しいことがある、ということで進めましょう』

と。

 

面談前、私から夫には、

『個室で、面会時間も人数も制限されない病棟に移動するからその面談だよ。これからは長く面会できるね!』

と明るく伝えていた。

 

面談の看護師から緩和ケア病棟の説明時、

夫は理解したのか、していないのか、どちらかわからないけど拒否しなかった。

 

私は涙が止まらなくなってしまった。

目のすぐ下までマスクを上げていたし、声を出さなかったし、夫は目がよく見えないから

ばれないだろうと思っていたけど、鼻水すする音からかばれてしまったのか。

 

私の手を握る夫の手に強い力が入った。

 

普段夫とは手はつなぐことはなかった。

 

でも夫ががんとわかって私が泣いたとき、

夫は力強く私の手を握ってくれた。

『大丈夫だよ』、と。

 

その時と同じ力強さ。

まだこんな力、残っていたんだ。