久しぶりに留学生ちゃんへの厳しい注意。

開き直るそのポジティブさにも疲れてきました。


「私たちはそこまで無理してあなたの世話をする必要はないから、あなたが合わせられないなら他のファミリーのところに行った方がいい」と数ヶ月に一度言うことでなんとかここまで来ているけど、私は本当に心から「嫌なら別のファミリーのところに行ってもいいよ」と思っている。


笑顔が可愛い子で、きっと受け入れ先はすぐ見つかると思う。私たち家族が気になることも、他の人たちは気にならないかもしれないし。


子ども達に「ホストファミリーまたやりたい?」と聞いたら前回の受け入れが終わった頃に「もちろん!またやる!」と言っていて、すぐに今回の受け入れも同じく一年近くの長期で決めた。


この間同じことを聞いたら「…もういいかな。優しい子が来るならやりたいけど、どんな留学生が来るかわからないから不安」と言っていて、同感。


10代でまだまだ若いから留学生達の可能性を否定しちゃいけない、とか私もいい人ぶって見栄張って。志高く考えるフリを自分自身の中でも努力してました。


だけど、留学生を我が家に配置した「マッチング」もうまくいってなかったのかも。


日本語に興味があって、色々学びたい!と思ってる子が来るかなと思っていたけど、留学生にとって日本は休暇をコスパ良く過ごすところという感じなので、こっちの言い分と向こうの言い分がいつも噛み合わない。それでも、こっちの期待と違うからと言って、文句言うのは大人としてどうかと思うのでそこはぐっと我慢してたけど、そもそも10ヶ月もこの子と一緒にいる意味ってなんだろう?と疑問に思う。

 

何か問題あると、ファミリーと留学生の信頼関係が築けてないのでは?と団体の人から指摘されたり。けっこう疲れます。

 

受け入れ団体は、私自身が留学した団体で、絶対推しの団体(だった)。子ども達もその団体で留学させたいと夫婦で思っていた。


ただホストファミリーの経験を通して「なんか違うかも」と思ってきたこの頃。


私たちの頃と時代や社会状況も変わって、団体の良さが悪い方向にいっているように感じる。もったいないショボーン


子ども達が留学するかもしれない高校生になる前に色々現実的なことを知られて良かった、それが今回ホストファミリーをやった一番の収穫かもしれない。

 

「留学」は子ども自身が強く学ぶ意欲を持ち、その方法をある程度見つける力が無いと、ただの「旅行」。親のお金と受け入れ先の善意で成り立つ「異文化体験」。


たしかに渋谷や道頓堀に連れていってもらったり、カラオケやプリクラ撮ったり、楽しい異文化体験いっぱいできますよね。別に日本語ができなくても、日本人は優しいので引け目を感じず、観光客として楽しむことができます。


「自分探しの旅行」とかっこよく言わせてもらえる「余裕のあるおうちの子」も多いかもしれません。


ただ、善意で成り立つボランティアにお世話になるのだから、レジャーの旅行なら他でやってくれ、と思う人もいます。

 

やらない方が良かったとは思わない。やってみないと分からないこともあるから。


でも、10ヶ月って長いな。


自分を受け入れてくれたホストマザーに前に色々愚痴ったら「そんな留学生、どうして受け入れたままにしてるの?ちゃんと団体に説明(いつも伝えている)して、これ以上あなたの家族に影響を及ぼさないようにしなさい。私たちが賛同している団体の理念と違うって言いなさい」って言われた。


たしかにきちんとそこで「これ以上は私たちにとって不要な経験と時間」だと線引きしないといけないのかも。


最近全巻購入した『インベスターZ』を読みながらそれを強く思いました。



つまらない映画を何分で「無駄だ」と思って出てくるか、というところ。

 

留学生ちゃんは「ここは便利な場所で気に入ってる」と言ってるけど、『インベスターZ』的には、そんなの私たちにはあまり関係ない話なんだよね。


それに、私も利便性よりも、自分たちといることを気に入ってくれる子の方がいいな。

  

何事もやりがいを感じて「ボランティア」するのは良いけど、自分の力が違うように使われて「良い気持ち」でいられなくなると「ボランティア」は難しい。