わたしに従いなさい。 | 『透明』

『透明』

透明で在りたい。
どこまでも…
どこまでも…

透明で
ありたい。


彼らが食事を済ませたとき、イエスは
シモン・ペテロに言われた。

「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、
わたしを愛しますか。」


ペテロはイエスに言った。
「はい。主よ。私があなたを愛することは、
あなたがご存じです。」

イエスは彼に言われた。
「わたしの小羊を飼いなさい。」



イエスは再び彼に言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」

ペテロはイエスに言った。
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたが
ご存じです。」


イエスは彼に言われた。
「わたしの羊を牧しなさい。」



イエスは三度ペテロに言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」

ペテロは、イエスが三度「あなたは私を愛しますか」
と言われたので、心を痛めてイエスに言った。



主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。
あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」

イエスは彼に言われた。
「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに告げます。


あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、
自分の歩きたい所を歩きました。

しかし年をとると、
あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、
あなたの行きたくない所に連れて行きます。」



これは、ペテロがどのような死に方をして、
神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。




こうお話になってから、ペテロに言われた。
「わたしに従いなさい。」
(ヨハネ21:15~19)










全てを失ったけれど、
主への愛は、失っていなかった...




































≪ペテロを立ち直らせるイエス≫


イエスの三回の質問は、ペテロにとって、
どうしても必要なものでした。


彼は、この時、
「自分はもう駄目だ」
と思っていたでしょう。



何故なら、十字架を前にしてつまずいて逃げ、
イエスに従うと言った言葉が嘘になり、

使徒失格で当然だったからです。



そのペテロに、イエスは問います。
「資格も自身も断言も、全部砕けたあなただけれど、
土台までは失っていないでしょう?」




イエスがペテロに確かめさせようとするその土台とは、
イエスへの愛です。





つまり、たとえ全てを失っても、イエスを愛しているならば、
神にとっては十分な土台が残っているのです。







このやり取りは、原語では、
一回目に「アバパオー?」-神の愛で愛するかと尋ねます。


ペテロは「アガパオー」と答えられず、
「フィレオー」と答えます。

自信に満ちた断言を裏切った苦い経験をしたばかりです。


これは、
求められている愛に及ばなくても、
精一杯の人間の愛で愛します、という趣旨です。



二回目も、「アガパオー?」「フィレオー」。



そして三回目には、イエスの方で、
「フィレオー?」と質問を変えます。



何故、ペテロの言葉に合わせたのでしょうか。




イエスはペテロに、あなたの精一杯の愛で
十分満足だとおっしゃったのでしょう。



胸が熱くなるやり取りです。



ペテロの三回の否認を、
この三回目の質問が癒しました。



イエスのみこころは、ペテロを立ち直らせ、
使命に立ち上がらせることだったのです。









≪ペテロを使命へと導くイエス≫


三回の質問は、
「わたしの小羊を飼いなさい」
など、ペテロを牧者としての使命に
召すことばを伴っています。


そして18~19節には、これからのペテロの
生涯を展望させることばがあり、


結論として、
「わたしに従いなさい」
と、どんな状況になっても、イエスに従い通す覚悟を
定めるようにと語られました。









≪イエス様に従う覚悟を定めよう≫


「あなたはわたしを愛しますか」
というイエス様の質問は、私たちにとっても、
究極の質問です。



何をなくしてしまっても、
イエス様への愛があれば、
神様は私たちを立ち直らせてくださいます。



逆に、知識があっても、奉仕ができても、
イエス様への愛がないなら、何の価値もないのです。





行き詰った時には、イエス様への愛を確かめて、
「イエス様、あなたを精一杯愛しています」
と告げましょう。



道に迷う時には、イエス様への愛を確かめて、
「私が、主の愛ゆえに選ぶ道はどれかを教えて
ください」と祈りつつ考えましょう。







ペテロは、かつて十字架を預言するイエス様のことばを
受け入れず、

いざ十字架が現実となる時には逃げました。




しかし今や、つまずきから癒されて再起した彼は、
今度はしっかりと十字架を受け止めて生きるようにと
イエス様に教えられ、


どのような道でもイエス様に従う
覚悟を定めることを求められたのです。


主が、私たちを導く道がどのようなものであるとしても、
私たちはそれぞれ自分の生きる道で、
イエス様に従う覚悟を持ちましょう。






























自分の罪によって、私は、何もかも、
失ってしまいました。


そんな中、主イエス様の慰めと、
励ましを受けました。



胸のうんと奥が、熱くなりました。






こんな、こんな、どうしようもない、
虫けらのような私が...


聖なる神様を愛する資格も無い程の
罪人の頭である私なのに...



こんな醜い私なんかの愛を...
主の愛には到底及ばない、ほんの少ししか
ない愛を...


主は、受け取って下さったんです。







もしも、こんなはしための私が、
聖なる神様を愛する事が、許されるのならば、


私は、私の全部で、
神様を愛して行きます。



これが、私の、生きる理由です。








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