人工骨頭置換術後の痛みって、骨粗しょう症だとひどいのかなぁ | 母の介護の憂さ晴らし

母の介護の憂さ晴らし

今思えば的な、過去のことも。
備忘録的な意味も。
タイトルのとおりなので、読むと嫌な気持ちになるかもです。
骨粗しょう症
複数回骨折
MCI~認知症かなぁ 
デイサービスに通う母を働きながら介護しています。

母は大腿骨頸部骨折からの人工骨頭置換の手術をしたんですが、

術後の痛みってどのくらいの強さなんですかね。

定期健診で、母が痛みを訴えると、

「ん?まだ痛い?まぁ、落ち着くまでにはもう少しかかるかな。」

と言われます。

いつまでこの痛みも続くのかなと思います。

骨粗しょう症もあるので、そのせいもあるのかなぁ。

今、術後一年近くたっているのですが、

デイサービスに行った日の夜は、痛いみたいです。

 

手術が決まってから、ネットで”人工骨頭置換術”を検索。

千原ジュニアさんや、ダウンタウンの松ちゃんも手術していることがわかりました。

舛添要一さんは両方人工骨頭らしいです。

youtubeで、ジュニアさんと舛添さんが手術について話している動画がありました。

ジュニアさんは、術前~手術直後~歩けるまでの動画をあげていらっしゃいました。

それがとても参考になったのですが、痛みについては母と全く違ったようです。

 

「退院時に杖買っといてください!今練習してますので。」

とか言われていたのに、

実際の退院時には、いきなり四脚歩行器を貸与され、

「危ないのでこれで移動するようにしてください。」

え?家の中も?

「そうです。」

というような状態でした。

 

退院直後は、いろいろな薬で怖いくらいぼーーっとしており、

(退院時に束になった使用薬説明用紙を持ってきた薬剤師さん。

申し訳なさそうに説明してくれました。)

一週間くらいたって薬が抜けてくると、紙おむつを嫌がるようになりました。

布パンツになると、足の痛みを訴えだしました。

ひと月強は、寝返りも打てず、あおむけで過ごすしかないほど、

体を動かすのはつらかったようです。

 

足が痛い、痛い。

痛みで眠れない。

そんな母を見て、ジュニアさんとだいぶ違うなぁと感じました。

杖購入を促されたのもあって、術後すぐ歩けるものだ思っていたので、

母は痛がりなのかと思ったりしました。

 

そして、眠れないと言い出します。

眠れないと言っても、正直、昼夜逆転しているような感じでした。

一日中、数時間おきに寝て起きてを繰り返しているような状態でしたが、

夜も、23~2時ころおきて、少し寝て4時には目が覚めるという感じでした。

夜中にいきなり大音量でテレビをつけたりして困りました。

補聴器ユーザーなので本人はわかっていません。

こちらが、びっくりして注意すると、

「消音にしている。」の一点張り。

ほんとにこのやり取りは消耗させられました。

 

昼間寝ているから夜眠れないんだよというと、

「寝てない。」

「夜も眠れないけど、昼も寝てない。」

と言います。

なので寝ているところを見つけて、注意すると、

「今のはちょっとうとうとしていただけだ。」

と言います。

寝たきりでポータブルトイレと食事の時以外座位を取らない。

体を動かさない毎日が続き、時間の感覚もなくなっていたようでした。

夕方2時間ほどウトウトして、18時に目が覚めると朝の6時と勘違いしていました。

 

カーテンを開けるのを嫌がり、

真っ暗な部屋で一日過ごす母に、

自分でリハビリ運動しろ!と怒ると、

「あんたに、この痛みわからんやろ!」

私だって好きで寝てるわけじゃないんだてきな反撃が来ました。

おいおい、悲劇のヒロインかよ。

自分かわいそう発動に、こっちもキレてしまいました。

「わかるわけないやろ!」

そんなもんわかってたまるかと思いました。

みんなそれぞれの”たいへん”なことがあるんだと。

自分だけがひどい目にあってるようなこと言ってるけど、

それを介護してる私は?

前向きに過ごさんのなら、好きにしろ!

母の人生だから、このまま寝たきりで過ごすのもあなたの勝手。

その代わり、私にだって介護の限界はあるから。

この家で一緒に過ごしたいのなら、ある程度元気でいてくれないと無理だと話しました。

 

そうやって、ケンカしながら、散歩に出ていたわけです。

なんですが、連れ出せば、

「風が気持ちいい。」

コンビニに連れて行けば、テンションも上がる。

ご近所さんとちょっと会話。

「あら~しばらく見なかったけど、どうされたの?」

なんて聞かれたら、意気揚々と病気自慢のはじまり。

 

やっぱ、寝てたらあかんて。

でも、翌日はまたイヤイヤから始まる。

昭和のすごろくの、台風に飛ばされてスタートに戻るを

地でやってた7月の数週間でした。