見て頂きありがとうございます
しょーもない上に、暗い話しなので
スルーしてくださってです。
父は山口県の島の漁師の息子
集団就職で大阪へ
和洋菓子職人でした
おやつに水羊羹や生クリームのパフェをよく作ってくれました。
泳ぎが得意で海やプールでは
私を背中に乗せて泳いでくれ
私がプールで溺れた時には
飛び込んで助けてくれました。
私が高校2年の時に両親は離婚
詳しい理由は聞いてないけど
父は古い〇〇荘という
いかにも昭和の一間風呂なしの
アパートに出て行きました。
小さな一戸建てに家族4人で
住んでいましたが
母方の祖父がお金持ちで
いくらか渡して出て行かせたらしい。
タクシーに古い扇風機と少しの
荷物を積んで兄と私も一緒に
アパート迄行きました。
2階の1番奥の部屋
こんな所に住むの?
屋上の物干しに上がる階段は
お化けが出そうな暗く怖い感じの
ボロアパートでした。
離婚後実家への連絡を一切絶って
いたようですが兄と私とは
連絡を取り合っていました。
母方の祖父母や親戚の手前
結婚式には来て貰えなかったけど
私の長男と次男は何度も抱っこ
してくれました。
26年前、急に
田舎の婆さんが生きてる内に
顔見に行って来ると。
確か3/16に。
こっちに帰ったら連絡するから
また会おうと。
2日後、叔母から
お父さん着いてないらしいでと。
アパートに行っても部屋は暗いし
応答もない。
当時父にはお付き合いしている
女性がいると聞いていたので
その人と旅行しながら
向かっているのでは?
その女性の名前も聞いてないし
今の様に携帯のない時代
毎日アパートの部屋に電話して
兄も私も何度も行った。
何日も何週間も
祖母、叔母、兄、私は
無事を祈って連絡を
待っていました。
捜索願いも出しました。
でも、幼い子供の世話に追われて
その内、父から連絡ある筈と
信じていました。
長くなってしまうので
次に続きます
ここまで読んで下さり
ありがとうございます
止まない雨はない☀️
明けない夜はない🌅
冬は必ず春となる🌸