開聞岳のてっぺんに
雲がかかっていて
山頂のシルエットがわからない
だんだんと
雲が移動して
開聞岳のシルエットが
わかるようになってきました
あともうちょっと雲が動いてくれたら
はっきり見えるのに、惜しいなぁ
もっともっとと期待する
これも執着なのでしょうか
この日は待っても雲はなくなりませんでした。
これはこれで美しい
はい、次行こう
こうやって言語化されたものを読むと
自分がいかに他人に期待していたか
に気づかされます。
黙っていたら、
わからなくて当たり前。
なぜなら、
私が思う、して欲しいことと
相手が思う、して欲しいことは
同じはずがない。
相手は思い通りになんか動いてくれない。
黙っていて
ドンピシャで私の期待通りのことをしてくれる
ことなんてない‼️
どこか的外れ
痒いところに手が届かないような
もどかしい感じ
だんだんと不全感が溜まっていく。
いっそのこと
何もしてもらわなければよかった
と何度も思ったはずなのに…
今度こそはわかってくれるはず…
なんて淡い期待をしていた
私はなぜ黙っていたのだろう
言って断られるのが怖かったから
めんどくさい人と思われたくなかったから
私の身近には
めんどくさい人がいます。
私は
めんどくさい人と思われたくない!
と思っていたのだけれど…
その
めんどくさい人に期待して
待ってたことに気がつきました。
めんどくさい人は
私に思い通りに動いて欲しいと
期待しているのであって
決して私の思い通りには動かない。
相手の期待に沿っめあげたら
相手も私の期待に沿ってくれて当然
などと甘い期待をしていた。
これこそが思い込み
めんどくさい人に期待したところで
めんどくさい結果しか出ない。
これ、今日気づきました。
キッパリ、サッパリ
期待を手放すことにします。
「他者への期待を断捨離」
雲が動くのを
ずっ〜と、じっ〜と待っているよりは
はい、次行ってみよう
と動いてみたら
案外、雲も一緒に動くかもしれない。
待つことをやめ、
自分の意志で自由に動けば
気持ちが驚くほどラクになる人生が待っている
怖いはススメ!
信じて期待せず!
さぁ、今日も動いてみよう