朝陽が射し込む晴れ

庭の景色です。


ここ数日感じたこと。



なかなか捨てられないもののひとつ。


プライド!?


傷つけられる言葉を浴びせられたとき


不快

怒り

憤り

痛み

消耗



自己否定の種にもなる。


必要以上にもつと苦しくなる。



再び

沖正弘先生の


「捨の心」

に学ばせてもらおう。



捨の心は三昧の心である


何事にもひっかからない、


何事にもこだわらない、


唯仕事に三昧している、


唯生活を味わっている。


持たざるが故に、


すべてのものはそのまま流れてゆく、


故に日々生命が生まれでてくるのである、


執するときにはすべて死んでしまうのである。


捨てた心は生きた心である。 


生かす働きである


執なき所に、一切は生きるのである。


執すると善悪を混同してしまう。


執なきときにのみ、


一切に素直に応じうるのである。


捨の心に苦しみはない。


与えられるままに受け取ればよいのだ。


何物からもつかまえられてはならない。


つかむから苦しい、


つかまれるから苦しい。


逆らうが故に苦しいのである。



 捨てるのである。


 捨てるのである。


 捨て切ったときのみ


 真実は入ってくるのである。




捨てるもの探しをするのではない


自然のままに


流れのままに


不要となったものを


脱ぎ捨てていく


新陳代謝を止めない。


固着したものを剥がすとき


痛みをともなう。


しかし、そのままであることの方が苦しい。


流れに逆らうことだから。


 海の向こうにみえる夕日に癒される



今、目の前で起きていること

それを見ていることは

決して愉快ではない


けれども、

それは私に何かを

教えようとしている。

伝えようとしている。


闇をみつめることは辛い。


しかし、

闇があるから光に気づくことができる。

闇があってこそ光が際立つ。

闇のその先を見に行こうロケット



肉体的いのち

社会的いのち

精神的いのち


すべては与えられている。


磨いていこう!!


もっと自分を輝かせたいから。