『心を洗う断捨離と空海』の中に


沖正弘先生『求道実行』が掲載されている。

そこから抜粋させていただく。


「捨の心」


宗教の心とは捨の心である。


捨の心とは求めぬ心である。


離れた心である。


れた心である。


にかけぬ心である。


ひっかからない心である。


着せぬ心である。


そのまま受け取る心である。


の心は強者の心である。


捨てたら困りはしない

計らう弱者に、


捨てたら入らないのではない

と憂える弱者に、


捨てきる、

まかせきる行為は可能である。


絶対への信ある者にして始めて、

由に捨て得るのである。


生かされて生きているのだ、

与えられて生きているのだの悟りが

捨の心を生み出す。


生かされる自信のある者は、

自由に捨て得るのである。


与えられ守られると信じて居る

者は自由に捨て得るのである。


捨てる者の胸中には求めへの悶えはない。


与えられざることへの焦りはない。


奪われることへの憂いもないのである。


唯受け取るだけである。


任せきるだけである。


えられた縁に無常の価値を認めている者の

心境は常に平安である。


常に法悦である。


一切に総感謝である。


日々好日である。





人生は山あり谷あり


外側でいろいろなことが起こる。


それを見て、聞いて、感じて


いろいろなものを内側に取り込んできた


その都度捨てることができなかったものが


心の中に溜まっていた。


それを見ることも、認めることも恐かった。


捨てられない


弱者の心だった。


断捨離を知った、今


捨の心



強者に心で生きたい‼️