実家に来て、3日目

おこもりしてばかりもつまらないので、
コンビニに買い物に行くついでにお散歩。

そしたら、白鳥に出会えました。

こんなに近くに来てたのね。
近寄っても警戒することなし。
「こっち向いて」って言ったら、素直に向いてくれました。
いい子ね。

帰りは海岸沿いを歩いて、夕日を眺める
贅沢な時間となりました。




「故郷は遠きにありて思うもの」
と言いますが、

今の心境から言うと
「故郷は近くに来て感じるもの」

切なかったり
誇らしかったり

両親は年老いて、身体が不自由ではあるけれど
一生懸命に生きている姿を見ると

生を全うすることは
誰にも邪魔されないことと思える。

父はしきりに
「ことにならんようになった」
(歳をとって不甲斐なくなったという意味)
というけれど、プライドは持ち続けている。

自分勝手でわがままで、短気で、頑固‼️
その癖、情にほだされやすく、涙脆い
(嫌なんだけど、どこか憎めないから困るショボーン)

父からいちいち指図され、
コントロールされるのがとても嫌だった。
言いなりになってしまう自分も嫌だった。



先日のひでこ先生の断捨離塾生Q&Aのこの回答
皆さんお読みになったでしょうかはてなマーク

人は、それぞれの
学びの人生を歩んでいるのだと。

子である自分の目をとおせば、
親の人生が、残念であり、
歯がゆくもあり、
また、切なくもあり、愛しくもありと、
様々な感慨が交錯するのは当然のこと。

まして、老いていく親の姿は、
そして、もう大人になった
自分の目からは、より一層、
その思いが強まるものですね。

繰り返し申し上げましょう。

は親の人生を歩んでいる。
自分は自分の人生を歩んでいる。
子は子の人生を歩んでいるのです。

それを踏まえ、それを尊重し、
それを受容していかなくてはならないのです。

とても、難しいことではありますが。
(以上、転載)


その通りだと思います!!

今は
「あっ、そうね〜」
と父の言葉を流すことを覚えたから
うんと楽になった。

もう、力づくで捩じ伏せられることはないとわかってるし
私が捩じ伏せようとする必要もない。

実家は溜め込み屋敷で
父の頭の中は混沌
思考も錯綜

それでも父は今も生きて
自分の課題に向き合いつつある。
この先どうなるか、わからない。


不都合なこともあるだろうけれど
まぁ、やれるだけやってくださいな。

あとは引き受ける覚悟できてます!!


倉庫の工事してます。何のためかよくわからない?
でも、父はやりたいらしい。

この境地に至るまで
時間がかかりました。

自分を信頼できたら
他者も信頼できるって
本当なんだね。

明日は東京へと飛び立ちます飛行機
軽やかに
おおらかに

元気でいてねラブラブ