佐々木小次郎のつばめ返しの術
 
 
 
夫の実家に来て、1年あまり経つ。
 
来た時には、ジャングルのようだった庭。
 
夫が細いノコギリ🪚一本で格闘していたことを思い出す。
小次郎のように姿美しくとはいかないが、
勇敢に立ち向かっていた。
見ている私はハラハラガーン
 
 
 
最近の「うち断捨離しました」
実家の断捨離に取り組む方が続いている。
 
夫の実家も例外に漏れず、
保留、忘却グッズが至る所に詰め込まれていた。
 

 
 

 
義父母が亡くなって15年
その数年前からここには住んでいなかったので
約20年ほど、空き家で放置されたままだった。
 
義父母が生きていた時のまま
モノはそこに置かれ
朽ちていこうとしていた。
 
下駄箱の靴は形そのままのように見えて、
持ち上げるとボロボロと崩れていく。
 
形はあっても
生きてはいないモノばかり
 
切なかった
苦しかった
だから、ひたすら捨てる日々だった。
 
時として
何故私が?
何故ここで?
何に始末をつけようとしているのだろうか?
と疑問が湧いた。
 
 
誰かがやらなければならないこと
その役割が、今、私たちに与えられたということ
ここをきれいにすることは
地球をきれいにすること
 
と自分に言い聞かせるようにして
無心に向き合ってきた。
 
もちろん夫も一生懸命だった。
2人で力を合わせなければできないことがたくさんあった。
 
しかし、
夫はいつか何かに使えると
モノを残したがった。
 
私は一気に捨てて
早く始末をつけたかった。
軽くなりたかった。
 
だから、かなり強引に進めることもした。
夫に隠れて捨てたこともあった。
そうしないと生き抜いていけない気がしたから。
 
 
「あなたあれ捨てたの⁉️」
 
「また捨てたんでしょ‼️」
 
とたびたび責められた。
 
不機嫌攻撃
無視も 
一度や二度ではなかった。
 
敵は夫だけではなかった。
見えない敵の存在も感じていた。
 
それでも、やらなくてはいけない‼️
変な使命感みたいなものが生まれていた。
今、思えば、闘いだった。
 
 
檀葉子断捨離トップトレーナーのこのブログを読んで、それが腑に落ちた。
 

 
私は亡くなった義父母の供養をしたかったのだ。
これ以上先延ばしはできないと感じたから。
 
義父母の尊厳をこれ以上損なってはいけない。
見えない世界にも、きっと伝わるはず。
 
本当は自分たちで始末をつけたかっただろうが、身体が不自由になって、ここを去らざるを得なくなった。
心残りだったに違いない。
 
 
昨日
くしくも、檀葉子断捨離トップトレーナーから
哀愁が漂っている
と言われたことをブログに書いた。
 
それは亡き両親の無念の想いを
感じとられたのだろう。
 
ならば
私にできること
私がすべきことは
この家に風を通し
気を変え
命を吹き込む
 
部分即全体
 
義父母の尊厳を回復させることと
私たちが尊厳ある暮らしをすることはひとつ
 
 
この断捨離は私のための断捨離
そう私の命のごきげんのため
 
すべての人が生ある限り
尊厳を持って生きられることを願う。
 
 
そのために
断捨離を続ける。
断捨離の力を信じる。