お越しいただき
ありがとうございます流れ星
1月17日




28年も前になるのですね
当時はアメリカイリノイ州
シカゴ郊外に住んでいました
赴任して間もない寒い時期でした
夫君から聞いたのが最初です




仕事を終えてハイウェイを走る車中の
ラジオから
「JAPAN!」
「JAPAN!」
と緊迫した声が聞こえたそうです
「Earth Quick!」


日本との連絡が取れずに
勤務する会社からの連絡でやっと
事の重大さを知りました





1995年(平成7年)117 
5
46
阪神淡路大震災
マグニチュード7.3



時が止まったままの、、、




現地日本人による
ボランティア活動が始まりました
募金集めに参加したのです
教会では外国人による
募金活動もありました




この時に思ったのです
外国人の温かい支援を受けて
母国愛が強くなっていった
日本人である事を強く思いました




あれから28年が過ぎて
でもあの時の感情は忘れる事は
ありません



……………………




2011年 3月11日 14時46分
東北地方太平洋沖地震
国内観測史上最大
マグニチュード
9.0の巨大地震





私は仕事中でした

パソコンに入った速報で

TVをつけた

CGを見てる様で目を疑ってしまった

フリーズした!

今この日本で起きてるのか

本当の現実なのか

嘘であってほしい

仕事どころでは無く

東日本の関わりのある企業へ

片っ端から電話した

安否確認とお見舞いと

数日間続いたと思う





その10日後は息子次男の結婚式が

あったのです

本人達はこの惨事に式をあげる事は

不謹慎かなと悩んだそうです

こんな時だからこそ、、、

二人には深く刻まれた事でしょう




……………………







2018
年 618日 午前758
大阪北部地震

マグニチュード6弱






私は出勤移動中の車中でした

梅田近くで車両が揺れた

車内アナウンスで知った

まさか我が家が、、、





スロー運転で梅田駅に停車

丸一日の停車状態と後で知った

乗客は梅田で降りた





どうしよう

どうなってるんだろう

構内を上がって行くと

一足先に家を出た夫君と遭遇

そこで初めて我が家(マンション)

の被害を聞いた

管理人さんから緊急連絡が

入ったらしい





夫君と私は言葉も少なく

とにかく

自宅へ帰る術をお互いに探す

どちらかが先に着いたら

連絡しようとその場を離れた




不思議ですね

こんな時

気が張ってるせいか

強くなれたんですよね

一人でも強かったです

(今も強いけど)






帰る術を探してる間ずっと

息子達が情報を連絡してくれました





タクシーも掴めない

バスも無い

立ち止まり思案に暮れ

又動き出して

何度も阪急駅と大阪地下鉄駅を往復

神様どうか力を

絶望的に、、、






夕方になって

阪急神戸線が再開されたんです

夙川で長男にpick upしてもらい

コンビニでお弁当を買い

自宅に着いたのは18時前

夫君が先に着いてた





ガラスの破片が凄かったです

大まかに拾い集めた

その晩は息子宅に泊めて貰いました





大切な思い出の品々が一瞬にして

ゴミになりました

片付ける時は

未練も無くて早く時が過ぎて

欲しかったですね




こんな状況を早く忘れたかった

のかも知れません

アメリカから帰国の時にお迎えした

お気に入りの飾り棚もゴミに





それもあってなのか

買い揃える気持ちも失せて

今ある物で十分生活出来る

そう思いました





思えば

あってはいけない恐怖を伴った

一大的な断捨離でしたかね





そんな事を思い出した

1月17日

あれから28年が過ぎたんですね

色んな物が壊れました





人生で3回の地震災害を

体感しました

私が無くした物なんて比べる事が

出来ない

掛け替えのない

命を失くされたご家族様にとって

そんな事は。。。

言葉では表せない





ただ、、、

魂が温かい光に包まれます様に

お祈りしたいです流れ星






覗いて下さり

ありがとうございましたピンクハート