12年経った3月11日 14時46分


12年前は、撮影で渋谷のとあるビルにいた私


最初の揺れのときは、

「あ、地震」と思っただけだったけど、

揺れがおさまらず、テーブルの下に隠れたときに

ビルの壁に亀裂が…


小さくて細く、しかも古いビルだったため、

全員で外に出ると、そこは246


周辺のビルからもたくさん人が歩道に出てきていて、向かいのビルは窓ガラスが割れていた


当日、工事中だった渋谷ヒカリエ?の上にあるクレーンがぐらぐら揺れていて、六本木ヒルズも揺れていた


撮影チームは程なく解散となり近くの駐車場から車をだし、ガラケーのワンセグで地震の特番を見ながら情報を取り、お水と食料、そして携帯の充電器を購入し、様子を見ながらネイルサロンと、仕事の打ち合わせがあった編集部へ行った後、ガソリンスタンドで満タンにして自宅に帰った


津波の映像は、ワンセグで見たと思う


小さい画面だったけど、今、それが起こっていることが信じられなかった


その後は、宮城にボランティアに行ったり、募金したり、いわきでのイベントに協力したり

福島の海沿いの道が通れるようになったばかりのころ、EVのラリーで原発と現地の生々しい様子を見て心が痛かった

ひたちなかでのクラシックカーのラリーに参加し、

新しくなっていく海沿いの民家を見ながら、

被災地は元気になっていると思っていた


でも2週間前、

常磐道を走っていた時に、

いわきの手前ぐらいの道路脇に

空間線量の表示板があるのを見かけた


ちょっとショックだった



一日も早く被災地に本当の春が来ますように