志村けんさんがお亡くなりになった…

とても、とてもショックです。悲しいです

私が最初に志村さんにお会いしたのは19歳ごろ。学生時代にアルバイトしていた、当時流行のカフェバーの先輩に紹介していただき、それからずっと可愛がっていただきました

我が家は父がお笑いが嫌いで、小さい頃は「8時だよ!全員集合」の時はテレビを消されてしまいました。なので、祖母のお家にわざわざ泊まりに行って番組を見たものです。学校でのお友達との話を合わせるために

志村さんはテレビで見るのとは違って大人しく無口…というより、むしろ暗い方でした。それなのでに、お笑いは天才。どこでスイッチが入るのかが不思議でした。そしてとても寂しがり屋だったんだと思います

でも私とは仲良くしてくださり、時間があればお食事、飲み屋のハシゴ、コンサート…いろいろ連れて行っていただきました

お誕生日が近かったので、19、20、21歳ぐらいの3年ぐらいは一緒にお祝いしていただいたり



私が学校が夏休みのときは、「うちの事務所にバイトにおいで」と言われ、「バイト代はいくら欲しいの?」と聞かれて「 30万円ぐらいかな」と言ったら「わかった」と。これには驚きました。これは当時としても破格でしたから
しかも勤務時間は月曜日〜土曜日午後13時から17時。お休みしたいときは事前連絡。喉が乾いたら下の階の喫茶店から出前。ゴミ捨てと簡単な掃除を終えたら後は電話番。でも一日1本ぐらい。後はたくさんあるビデオを見たり。麻布十番の事務所で、そこにはお兄様が出勤されていました。ときにはお母様がいらっしゃることも



←左の写真の女性は、志村さんのお母様。写真中央は私

→右の写真左側の男性は、お兄様。中央は私

もしかして両方に映っているのは、真ん中のお兄様かな?

麻布十番祭りのときはお兄様がお小遣いをくださり、「見に行っておいで」という、不思議なバイト先でした

しかし、あまりにも退屈すぎて、私は夏休みの期間しかバイトしませんでしたが…なんならずっと続けていればよかった

志村さんは私の後、知り合いのモデルの子などをバイトに雇ったらしいのですが、そのときはかなりバイト代は下がったようです。志村さんは、気前がいい…というのもありますが、単にバイト代の相場を知らなかっただけだったようです

合同お誕生会は何回か開催してもらいましたが、
私に彼ができてからはあまり会わなくなりました

私が書く仕事を始めたばかりの時、インタビューをお願いしました。確かゲーム系の雑誌だったと思います。すでにその雑誌は廃刊になってしまいましたが、志村さんは仕事の合間に東宝のスタジオで時間を作ってくれて、対応してくれました。志村さんのようなビッグネームの方が…。今、思うとありがたすぎるお話です

たぶんその前後、マイケルジャクソン?かローリングストーンズか誰かのコンサートに誘っていただいたと思います。その時かどうか忘れてしまいましたが、麻布十番のお店に行ったのを覚えています。それが最後かな…

2年ぐらい前に私のガラケーが壊れてしまい、志村さんの電話番号がわからなくなってからは私からは連絡が取れなくなり、志村さんからも連絡が無かったのでそのままになっていましたが、まさかこんなに早く…回復したら、お見舞いにでもお邪魔し、昔話などをしたかったです。どこまで覚えていただけているかはわかりませんが

最後のお別れには行きたいと思います

志村さん、お疲れ様でした

安らかにお休みください


          2020 年3月30日 吉田由美